言葉のこと

言葉を教えたり小説を載せたり。

エッセイ「楽しみにしているパン」

神戸、広島への旅行。明日のパン屋の六周年記念セール。
僕が今楽しみにしていることです。
僕は新入社員時代に神戸で研修を受けました。
四月から十月まで関東を離れて、初めて行く神戸で会社員となる勉強をしました。
月日はたち、今では会社を辞めました。
研修期間に同期と過ごした合宿のような暮らしは、今でも楽しい記憶となってたまに思い出します。
僕は会社を辞めてものの見方が百八十度変わりました。
当時過ごした神戸は果たして今はどのように見えるのか?
僕は今どのような人間なのか?
当時と今を物差しで比較して、居場所を確かめたい。
成長を確かめたい思いから、神戸への旅行を楽しみにしています。
次に広島への旅行です。
僕は会社員時代に多くの場所へ出張しました。
個人の旅行も含めると北は北海道から、南は沖縄まで行きました。
ただ、広島だけは戦争について理解したいという理由から、後回しにしていたのです。
僕は最近広島を訪れる時期が来たと感じるようになりました。
問題が解決したというわけです。
勉強を兼ねての旅行という理由で広島への旅行を楽しみにしています。
最後に、明日のパン屋の六周年記念セールです。
その店は障害者の復職支援として障害者の雇用をしています。
僕が病気の症状が回復してきたときに、一度働く相談をしたこともあります。
その店のパンはとても美味しいのでよく利用します。
パンが美味しいのは、店員さんがみんな優しいからです。
パンを食べに行っているようで、店員さんから優しさをもらいに行っているようにも思います。

明日はパンが一つ百円です。
お昼はパンに決定です。


明読斎

ブログでやり直す国文法  中学一年から三年の振り返り 「二.文節と文節の関わり つづき」

ーー文節と文節はどのように関わるか?ーー

「文節と文節の関わり つづき」

 

前回 kotobanokoto.hatenablog.com

 

 文節と文節は下のように関わります。

 

三.二つ以上の文節が対等に並んでいる関わり。

高田さんと 清水さんが 遊びに来ました。

 

四.おもな意味をもつ文節に、下の文節が意味を添える関わり。

・いとこが 歌って いる

 

五.前の文や文節を、あとにつなぐ関わり。

・雪だ。しかし、 外に出よう。

 

六.独立性の強い関わり。

はい、 私が佐藤です。

 

 

明読斎

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読んでくださりありがとうございます。

いつも感謝しています。

僕への意見やアドバイス、疑問、質問

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書くことができます。

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ブログでやり直す国文法  中学一年から三年の振り返り 「二.文節と文節の関わり」

ーー文節と文節はどのように関わるか?ーー

「文節と文節の関わり」

 

 文節と文節は下のように関わります。

 

一.主役にあたる文節と、主役の動作や説明を述べる文節の関わり。

・ 何、またはだれ、がーー>どうする   例 月がーー>光る。

 

・ 何、またはだれ、がーー>どんなだ   例 月がーー>美しい。

 

・ 何、またはだれ、がーー>何だ     例 月がーー>象徴だ。

 

・ 何、またはだれ、がーー>ある・いる・ない 例 月がーー>ある。

 

二.意味を説明する文節と、説明される文節の関わり。

・ 何をーー>どうする  例 物語をーー>書く。

 

・ どのようにーー>どうする  例 急いでーー>走る。

 

・ どのくらいーー>どんなだ  例 かなりーー>汚い。

 

・ どんなーー>何だ  例 寒いーー>冬だ。

 

・ 何のーー>何だ  例 公園のーー>椅子だ。

 

 

「文節と文節の関わり」は、あと四種類あります。

 

明読斎

次回は『ブログでやり直す国文法  中学一年から三年の振り返り 「二.文節と文節の関わり つづき」』です。

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哲学と言葉のこと

前回の記事でサルトルの言葉を取り上げました。

 

今回は哲学の問題を取り上げたいと思います。




取り上げる問題は、哲学とは何か?です。

 

私たちはどこから来たのか?は、哲学とは何か?です。

 

 

分かりやすいので、私たちはどこから来たのか?をマラソンに例えます。



私たちはどこから来たのか

 

私たちはどこから走るのか

 

を意味します。




マラソンは到着地点を目指して走るのだから、

 

私たちはどこから走るのか?は、

 

私たちはどこを走るのか?

 

を意味します。




分かりやすいので、マラソンを更に生き方に例えます。

 

私たちは生まれてから死ぬまでを生きるのだから、

 

私たちはどこを走るのか?は、

 

私たちはどのように生きるのか?を意味します。

 

 

人生のことは前回の記事に書きました。

 

要するに、生きるとはりんごとみかんのどちらを食べるのか?の選択問題です。

 

生きるとは大事な方を選ぶことなので、

 

私たちはどのように生きるのか?は、

 

私たちはどんなことを大事にしているのか?を意味します。




つまり、

 

哲学とは、どんなことを大事にしているのか?です。

 

僕の大事にしていることは、とにかくやることです。

 

あなたの大事にしていることはどんなことですか?





それが哲学です。




明読斎


次回は、『ブログでやり直す国文法  中学一年から三年の振り返り 「二.文節と文節の関わり」』

です。

 

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「アイデンティティ」の言葉のこと

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アイデンティティ」あらすじ

死刑囚マルコム・リバースは多重人格障害の疑いがあり死刑執行の前夜、彼の罪を問う再審議が行われようとしていた。

一方、大雨のために裏寂れたモーテルに一晩閉じ込められることになった11人の男女は何者かに次々と殺されて行く。女優の運転手であるエドは次第に連続殺人の奇っ怪さを感じ始め、

Wikipedia よりー

 

登場人物のエドの運転している車にサルトルの「存在と無」という本が置かれていました。

映画の題名は「アイデンティティ」です。

アイデンティティ」を手に取った理由は、前回の映画評論「スプリット

 

kotobanokoto.hatenablog.com

 

の登場人物と同様に、

本作の主要な登場人物が解離性同一性障害であり、この二作を比較することで映画に迫りたいと思ったからです。

 

冒頭でこんな問いが投げかけられます。

「君は誰かね?」

この問いが「アイデンティティ」の問題だと思います。

 

前回の「スプリット」で、僕は映画と現実を分けがちだと書きました。

今回の「アイデンティティ」でも、問題は登場人物がどうして解離性同一性障害になったのかという理由にあります。

どちらの登場人物も児童虐待を理由に解離性同一性障害を発症しています。

 

ところで、映画を現実に起きていると考えるなら、一つだけ問題が起こります。

その問題こそが僕が映画と現実を分けている理由であり、登場人物が解離性同一性障害を発症した理由であり、「君は誰か?」という問題です。

 

君と書いていると紛らわしくなるので僕とします。

 

「僕は誰か?」

 

という問題です。

ここで「サルトル全集 存在と無」(サルトル全集第十八巻 株式会社人文書院)のP18から引用します。

「現れは、それとは別のいかなる存在者によっても支えられていない。現れは、それ自身の存在をもっている。」

 

つまり、現れとは何か?という問題です。

サルトルによれば自身の存在をもっているものが現れと書いてあります。

現れとはそれ自身です。

 

「僕は誰か?」という問題は

「僕自身は誰か?」という問題です。

 

映画の話に戻ります。

映画と現実が分かれていると思うのは登場人物と僕自身が違う人生を歩んでいるからです。

同じ人生を歩んでいるなら映画と現実はきっと同じだと思うはずです。

 

ここに「僕自身は誰か?」という問題の鍵がありそうです。

 

鍵とはどんな人生を歩んでいるのか?という問題です。

映画の登場人物は皆脚本通りの人生を歩んでいます。

言い換えれば映画の登場人物はどの登場人物も(例外なく)脚本に従っています。

 

こう書けば答えは明白です。

僕自身とは自由な(脚本に従わない)人物です。

 

冒頭の問題に戻ります。

 

「君は誰かね?」

 

とは「君は脚本に従っていますか?それとも自由(脚本に従っていない)ですか?」

という問題だと思います。

 

最後の問題です。

 

問題は「誰が脚本を書いているのか?」です。

 

問題を言い換えれば

 

「誰の脚本に従っているのか?(もしくは従っていないのか?)」です。

 

僕は脚本を書くとは選択問題だと思います。

 

右手にみかん、左手にりんごを持つ。

 

誰が選ぶのか?

 

僕です。

 

(映画の登場人物ではないのですし、)どちらを食べるか(脚本)は選べます。

 

人生はどちらを食べるかです。

 

 

いつもお読みくださりありがとうございます。

 

明読斎

 

 

コメントのペースが落ちること

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僕は会社にパソコンを入れる仕事をしています。

 

仕事が1月中旬から30日まで入ります。

 

そのため皆様のブログへのコメントのペースが落ちますので、

 

ご容赦くださると助かります。

 

皆様のブログを楽しみにしています。

 

 

僕のブログについても新しい企画を考えております。

 

2月1日からいつものペースにまた戻します。

 

1月中旬まではコメントも更新も続けたいと思います。

 

いつもお読みくださりありがとうございます。

 

明読斎

 

「スプリット」の言葉のこと

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スプリット」あらすじ

3人の女子高生ケイシー、クレア、マルシアは、クレアの誕生日パーティーの帰り道、見知らぬ男に拉致され、密室に監禁されてしまう。

そこには神経質な雰囲気を漂わせた1人の男がいた。ケイシーたちは男が部屋から立ち去った後、脱出する方法を必死に考える。

すると、ドアの外から男女の会話する声が聞こえてきた。ケイシーたちは助けを求めて声を上げるが、そこに現れたのは、女性の服に身を包み、女性のような口調で話す先ほどの男だった。

その男は何と23もの人格を持つ多重人格者で、堅物で潔癖症なデニス、品格のある女性パトリシア、9歳の少年ヘドウィグと、人格が次々と激しく入れ替わっていく。そして、24番目の人格"ビースト"が現れた時、ケイシーたちは絶望の淵に追い詰められるのだった。

Wikipedia よりー




スプリット」は視点を問題にしていると思いました。

 

23人の人格を持つケビンも、主人公のケイシーも児童虐待を受けています。

 

ケイシーは終始建物に閉じ込められています。

 

閉じ込められている建物は、まるでケイシーの心の中

 

閉じ込められている建物の奥の奥にいるケイシーに向かって

 

ケビンが鉄格子を開けてこう言います。

 

「お前の心は汚れていない」

 

つまり、仮に児童虐待を受け、23人の人格を作るほど体が汚れたとしても一番奥の心は綺麗だと言うことだと解釈しました。

 

優しいメッセージだと思いました。

 

ケイシーと同じように児童虐待を受けたケビンだから言える言葉だと思います。

 

 

序盤でフレッチャー医師がこう言います。

 

「私たち心に傷を負った人を劣ってると見がちよね。でももし私たちより優れてたら?」

 

この言葉に「スプリット」のテーマが込められていると思いました。

フレッチャー医師は視点のことを言っているのだと思います。

 

フレッチャー医師の言葉を言い換えれば




「私たち映画の中の人物より優れていると見がちよね。でももし映画の中の人物たちより劣ってたら?」

 

です。




画面の手前と奥は分けられています。

 

英語でスプリット



僕はケビンとケイシーたちに起こった児童虐待を画面の奥の話として見ます。

 

しかし、

 

本当に児童虐待が起こっているのは画面の手前です。




現実に起こっていることです。





心に傷を負った人を劣ってると見がちで、

 

映画の中の人物より優れていると見がちで、

 

画面の手前と奥を分けがちな人物はだと気がつきました。



お読みくださりいつもありがとうございます。

感謝しています。

 

明読斎