言葉の問題

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質の良い音の作り手が音の曇りを取るために、ひとつひとつ河原に積み重ねるものは何か? ー「良い音の作り方 〜永野光浩流・DTM音楽制作仕事術」を読んで感じたことー

僕は「良い音の作り方 〜永野光浩流・DTM音楽制作仕事術」を読みました。 

 

質の良い音を作るのは、難しいです。

 

質の良い音を作るには、1000ピースのパズルを作るような膨大な作業が必要となります。

 

その膨大な作業から得られる結果は、砂場に落ちた一粒の胡麻のようにほんの少しの差です。

 

その膨大な作業の結果は、聴き手が使う環境によってはパソコンがフリーズするように水の泡になることもあります。

 

聴き手の環境を作り手は想像するだけです。

 

質の良い音の作り手は、ほんの少しの差のために膨大な作業をします。

 

ほんの少しの差が積み重なって水面に広がった波紋のような質の良い音が生まれます。

 

ほんの少しの差が積み重なって生まれた質の良い音は、解像度の高い写真のようです。

 

その質の良さは無理なく無駄なく曇りなく。

 

質の良い音の作り手は一点の曇りを取るために、小石をひとつひとつ河原に積み重ねます。

 

 

その小石は、刀鍛冶のような技術です。

その小石は、金槌のような機材です。

その小石は、日本刀のような心です。

 

本文をお読みくださりありがとうございました。

 

明読斎🐌

 

 

物語を創作する際に、軸に組み立てると物語がまとまるものは何か? ー「脳が読みたくなるストーリーの書き方」を読んで感じたことー

僕は「 脳が読みたくなるストーリーの書き方」を読みました。 

 

この本を読んで一番興味深かったのは、対立のことです。

何かvs何かという構図の対立は、電車が進み出すように物語を動かしていく重要な要素だということです。

 

何かvs何かという構図の対立はスターウォーズにも使われています。

最新作のサブタイトルは「光か?闇か?」です。

光vs闇という対立です。

 

何かvs何かという構図の対立は、僕が書いた「統合失調症克服記」でも取り入れています。

僕が書いた「統合失調症克服記」での対立は、人間か?虫か?です。

人間vs虫という対立です。

 

他にも考えている何かvs何かという構図の対立があります。

例えば

 

人間vs人工知能・・・人間と人工知能の対立

過去vs未来・・・過去と未来の対立

人間vsけもの・・・人間とけものの対立

人間vs侵略者・・・人間と侵略者の対立

人間vs恐竜・・・人間と恐竜の対立

人間vs出来事・・・人間と出来事の対立

 

あなたにとって面白い対立は、どんな対立ですか?

 

何かvs何かという構図の対立は、映画の予告編のように物語が展開するのを予感させます。

物語を創作する際は、何かvs何かという構図の対立を軸に物語を組み立てると、消しゴムのカスが一つになるように物語がまとまります。

 

本文をお読みくださりありがとうございました。

 

明読斎🐌

 

物語の語り手とは誰か? ー「ナラトロジー入門―プロップからジュネットまでの物語論 (水声文庫)」を読んで感じたことー

物語を語るとはどういうことか。

物語を誰が語るのか。

物語をどうして語るのか。

物語をいつ語るのか。

物語をどうやって語るのか。

 

物語を語る上で考えておく必要のあることが、物語の語り手は誰か?という問題です。

 

物語の語り手は、そもそも存在しているのか?それとも…。

 

物語の語り手の存在は、このことを追求するほどに人間の存在から、磁石のN極がS極にくっつくように離れることが難しくなります。

僕が人間であることと、物語を語ることは、卵が先か?鶏が先か?という存在の問題に近づきます。

 

この問題は、人間を作った存在がいるのか?という、地球は本当に丸いのか?と問うのと同じぐらいやっかいな問題です。

 

人間の作り手はどうやって人間を作ったのか。

物語の語り手はどうやって物語を語るのか。

 

物語に思いを馳せるときに、物語を観察する観察者の存在に気づきます。

 

観察者が物語を観察するから物語が存在するのです。

 

僕は物語を観察する観察者が、物語の語り手だと考えます。

僕は物語を観察する観察者が、物語を語っているのだと感じます。

 

物語を観察する観察者が、物語の語り手と言えそうです。 

 

本文をお読みくださりありがとうございました。

 

明読斎

お天気の価値を決めるのは誰か?

 僕はこの本を神戸への旅行に行ったときに買いました。

 

「はれた日は学校をやすんで」は、主人公の周囲の人の物語が描かれています。

 

この本は、あ、そうなんだという気づきに溢れています。

 

このあ、そうなんだという気づきは、主人公の価値観です。

 

主人公の価値観がほのぼのとした絵から透けて見えます。

 

ほのぼのとした絵から透けて見える主人公の価値観は、ほとんどにおいて「人間を大事にしている」という価値観です。

 

僕は僕が作る物語にも、この「人間を大事にしている」という価値観を取り入れたいと思いました。

 

僕はお天気の晴れた日の価値を理解することはとても大きな意味を持っていると感じます。

 

僕はお天気の晴れた日の価値を理解することで、少しずつ車が前進するように物語が前へと進んでいくような気がします。

 

お天気は曇りの日もありますし、晴れた日もあります。

 

お天気の曇りの日は家で読書をします。

お天気の晴れた日は学校を休んで外で遊びます。

 

この場合のお天気が曇りの日と晴れた日は等しい価値を持っていると感じます。

 

お天気の価値は他の誰かに決められずとも、僕が決められるように感じます。

 

お天気の価値は今までは他の誰かが決めることだったように感じます。

 

他の誰かが決めるお天気の価値は、本当に正しいのか?と 今、とても疑問に思います。

 

僕はお天気の晴れた日に学校を休む生き方は、お天気の価値を僕が決める生き方だと思います。

 

お天気の晴れた日に学校を休む生き方は、運動会の行進を逆に行くような、他の誰かとは違う生き方です。

 お天気の晴れた日に学校を休む生き方は、お天気の晴れた日に学校に行く生き方と等しい価値を持っていると感じます。

お天気の晴れた日に学校を休む生き方は、僕がお天気の価値を決める生き方です。 

 

お天気の価値は、僕が決めます。

 

本文をお読みくださりありがとうございました。

 

明読斎

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