この夏、話題の二作を観てきました。
「ジュラシック・ワールド」
と
「カメラを止めるな!」
です。
※※ここからはネタバレが少しありますので未見の方はご注意ください。
どちらの映画も違った面白さがありました。
「ジュラシック・ワールド」は4Dで、風あり、フラッシュあり、水しぶきあり、椅子揺れありの体感型の映画でした。
「ジュラシック・ワールド」はまるで4Dを楽しむための映画のようです。
物語よりも、顔に吹きかけられる風や、フラッシュや、水しぶきや、椅子揺れなどを楽しむことを目的に作られた映画だと思いました。
結論から言えば、4Dは楽しかったです。
隣の客が「ディズニーランドみたい」と呟いていましたが、
まさにディズニーランドのアトラクションのようです。
ここまで体感型が進むと映画とは別物のようにも感じました。
一方、「カメラを止めるな!」ですが、
こちらは「ジュラシック・ワールド」とはまた別の楽しさがありました。
その楽しさとは、泥臭い笑いです。
二作を比べると、それぞれ違った面白さがあるのですが、
顕著に感じるのは、体の内から来る楽しさか、体の外から来る楽しさかという違いです。
「ジュラシック・ワールド」は風や振動などの体の外から来る楽しさです。
「カメラを止めるな!」は体の内から笑いがこぼれて来る楽しさです。
話を「カメラを止めるな!」に近づけます。
「カメラを止めるな!」の面白さは、虚構と現実で言うと、現実の面白さなのだなと思いました。
冒頭の長回しワンカットは、カットなしの演技です。
この冒頭部分はもちろん演技ですが、演技でない部分も写り込んでいます。
つまり演技でない部分は現実です。
そして、「カメラを止めるな!」の肝となる第二部ですが、これは現実をスクリーンに映し出していると感じました。
どういうことかと言うと、
映画内の出来事があたかも現実に見えるということです。
言い換えれば、普段の僕たちに近い情景が写し出されているということです。
二作の特徴を簡潔に言えば、
「ジュラシック・ワールド」は、現実風の虚構で、
「カメラを止めるな!」は、虚構風の現実だということです。
「カメラを止めるな!」では「作品の前に番組だ。」というような台詞が何回も出てきます。
この台詞で言う「番組」とは虚構のことです。
虚構の裏でドタバタする現実を映画にしたものが「カメラを止めるな!」だと思いました。
この点から、僕が強く共感を感じたのは「ジュラシック・ワールド」よりも、「カメラを止めるな!」の方でした。
現実には数字や、効率や、マネーなどの虚構がはびこっています。
これらの虚構のために、僕たちは裏で走り回って、汗水をたらして、涙を流しています。
本当に映画に取り上げて欲しいのは、綺麗な虚構ではなく、走り回って、汗水をたらして、涙を流している現実の方だからこそ「カメラを止めるな!」のドタバタに共感を感じたのだと思いました。
一見すると、どちらの映画もただのドタバタ劇です。
しかし、僕たちに、より近いドタバタ劇はどちらでしょうか?
恐竜に慌てふためくドタバタか、それとも番組作りに裏で慌てふためくドタバタか。
恐竜が綺麗に見えて、番組作りが泥臭く見える。
僕は泥臭い「カメラを止めるな!」に軍配をあげました。
その理由は風や、フラッシュや、水しぶきや、椅子揺れでは決して体感できない、泥臭い笑いを体の内に感じたからです。
泥臭い笑い。
その体験は5Dという、新しい体感型映画と言ってもよさそうです。
明読斎