言葉の問題

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「スプリット」の言葉のこと

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スプリット」あらすじ

3人の女子高生ケイシー、クレア、マルシアは、クレアの誕生日パーティーの帰り道、見知らぬ男に拉致され、密室に監禁されてしまう。

そこには神経質な雰囲気を漂わせた1人の男がいた。ケイシーたちは男が部屋から立ち去った後、脱出する方法を必死に考える。

すると、ドアの外から男女の会話する声が聞こえてきた。ケイシーたちは助けを求めて声を上げるが、そこに現れたのは、女性の服に身を包み、女性のような口調で話す先ほどの男だった。

その男は何と23もの人格を持つ多重人格者で、堅物で潔癖症なデニス、品格のある女性パトリシア、9歳の少年ヘドウィグと、人格が次々と激しく入れ替わっていく。そして、24番目の人格"ビースト"が現れた時、ケイシーたちは絶望の淵に追い詰められるのだった。

Wikipedia よりー




僕は「スプリット」は映画鑑賞者の視点を問題にしていると思いました。

 

主人公のケイシーも、

 

23人の人格を持つケビンも児童虐待を受けています。

 

映画の中でケイシーは終始建物に閉じ込められています。

 

閉じ込められている建物は、まるでケイシーの心の中です

 

閉じ込められている建物の奥の奥にいるケイシー、

 

つまり心の奥の奥にいるケイシーに向かって

 

ケビンが鉄格子を開けてこう言います。

 

「お前の心は汚れていない」

 

つまり、仮に児童虐待を受け、

 

23人の人格を作るほど心が汚れたとしても一番奥の心は綺麗というメッセージだと釈しました。

 

優しいメッセージだと思いました。

 

ケイシーと同じように児童虐待を受けたケビンだから言える言葉だと思います。

 

 

序盤でフレッチャー医師がこう言います。

 

「私たち心に傷を負った人を劣ってると見がちよね。でももし私たちより優れていたら?」

 

この言葉に「スプリット」のテーマが込められていると思いました。

 

つまり、フレッチャー医師は映画鑑賞者の視点のことを言っているのだと思います。

 

フレッチャー医師の言葉を映画と現実に言い換えれば、


「私たち映画の中の人物より優れていると見がちよね。

でももし映画の中の人物の方が私たちより優れているとしたら?」

 

です。




画面の手前と奥は分けられています。

 

英語でスプリット



僕たちはケイシーとケビンたちに起こった児童虐待を、画面の奥の話として見ます。

 

しかし、

 

本当に児童虐待が起こっているのは画面の手前です。




現実に起こっていることです。





画面の奥の心に傷を負った人物を、画面の手前の僕たちより劣ってると見がちで、

 

画面の奥の心に傷を負った人物より、画面の手前の僕たちの方が優れていると見がちで、

 

画面の奥と手前を分けがちな人物は、だと気がつきました。


児童虐待は現実に起こっていることです。

 

いつもお読みくださりありがとうございます。

感謝しています。

 

明読斎

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