言葉の問題

作品を発信するブログ。

楽しんでますか?

テキスト「事実を哲学する」〜事実は何か?〜(1/5)

おはようございます。

今日から五回に渡ってテキストを連載します。

「事実を哲学する」という名のめんどくさい話です。

めんどくさい話が苦手な方は辛抱ください。

あらかじめ見出しを掲載します。

本日は1〜3です。

よろしくお願いします。

 

〜〜〜〜〜テキスト「事実を哲学する」〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

5/23掲載

1.僕は事実に疑問を持っている。

2.事実とは何か?

3.事実に疑問を持つとは何か?

 

5/24掲載予定

4.四川風ラーメンを広東風ラーメンに変えることは可能か?

5.時間とは何か?

 

5/25掲載予定

6.新しい事実とは何か?

 

5/26掲載予定

7.時間は流れるのか?

8.真実とは何か?

9.未来はどこにあるのか?

 

5/27掲載予定

10.どうして僕は事実に疑問を持ったのか?

11.四川風ラーメンの正体は何か?

12.未来は何ラーメンか?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

f:id:tanisuke1234:20180523055027p:plain

「事実を哲学する」

 

1.僕は事実に疑問を持っている。

僕は事実に疑問を持っています。

 

そのことが「事実を哲学する」の源流になります。

 

 

2.事実とは何か?

 

僕は昨日の昼に街で四川風ラーメンを食べた。

 

そのことは事実です。

 

事実とは、変わらないもののように思えます。

 

それでは、事実とは何かを考えてみます。

 

例えば、僕は昨日の昼に街で広東風ラーメンを食べた。

 

僕は昨日の昼に街で四川風ラーメンを食べたのが事実ですので、

 

これは事実が変わっています。

 

事実は四川風ラーメンを食べたことです。

 

広東風ラーメンを食べたことは事実ではありません。

 

僕は昨日の昼に街で四川風ラーメンを食べたのであって、

 

広東風ラーメンを食べたのではありません。

 

広東風ラーメンを食べたと言っては事実が異なります。

 

広東風ラーメンを食べたと言っては事実が異なるので、

 

四川風ラーメンを食べた事実を広東風ラーメンを食べた事実に変えることはできません。

 

事実とは変えられないもののことです。

 

 

3.事実に疑問を持つとは何か?

 

事実に疑問を持つ。

 

それは変えられないものに疑問を持つことです。

 

先ほどの四川風ラーメンの例で言えば、

 

僕は昨日の昼に街で四川風ラーメンを本当に食べたのだろうか?

 

と疑問を持つことです。

 

それが事実に疑問を持つということです。

 

言い換えれば、僕は昨日の昼に街で本当は広東風ラーメンを食べたのでは

 

と疑問を持つことです。

 

 

四川風ラーメンを食べたとはどういうことか?

 

四川風ラーメンを食べたとはどういうことかを考えてみます。

 

四川風ラーメンを食べたことは何度も書くように事実です。

 

広東風ラーメンを食べたことは事実ではありません。

 

事実に疑問を持つとは、変えられないものに疑問を持つことです。



 

続く。

 

お読みくださりありがとうございました。

 

明読斎

プライバシーポリシー お問い合わせ