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物語の語り手とは誰か? ー「ナラトロジー入門―プロップからジュネットまでの物語論 (水声文庫)」を読んで感じたことー

物語を語るとはどういうことか。

物語を誰が語るのか。

物語をどうして語るのか。

物語をいつ語るのか。

物語をどうやって語るのか。

 

物語を語る上で考えておく必要のあることが、物語の語り手は誰か?という問題です。

 

物語の語り手は、そもそも存在しているのか?それとも…。

 

物語の語り手の存在は、このことを追求するほどに人間の存在から、磁石のN極がS極にくっつくように離れることが難しくなります。

僕が人間であることと、物語を語ることは、卵が先か?鶏が先か?という存在の問題に近づきます。

 

この問題は、人間を作った存在がいるのか?という、地球は本当に丸いのか?と問うのと同じぐらいやっかいな問題です。

 

人間の作り手はどうやって人間を作ったのか。

物語の語り手はどうやって物語を語るのか。

 

物語に思いを馳せるときに、物語を観察する観察者の存在に気づきます。

 

観察者が物語を観察するから物語が存在するのです。

 

僕は物語を観察する観察者が、物語の語り手だと考えます。

僕は物語を観察する観察者が、物語を語っているのだと感じます。

 

物語を観察する観察者が、物語の語り手と言えそうです。 

 

本文をお読みくださりありがとうございました。

 

明読斎

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