物語を語るとはどういうことか。
物語を誰が語るのか。
物語をどうして語るのか。
物語をいつ語るのか。
物語をどうやって語るのか。
物語を語る上で考えておく必要のあることが、物語の語り手は誰か?という問題です。
物語の語り手は、そもそも存在しているのか?それとも…。
物語の語り手の存在は、このことを追求するほどに人間の存在から、磁石のN極がS極にくっつくように離れることが難しくなります。
僕が人間であることと、物語を語ることは、卵が先か?鶏が先か?という存在の問題に近づきます。
この問題は、人間を作った存在がいるのか?という、地球は本当に丸いのか?と問うのと同じぐらいやっかいな問題です。
人間の作り手はどうやって人間を作ったのか。
物語の語り手はどうやって物語を語るのか。
物語に思いを馳せるときに、物語を観察する観察者の存在に気づきます。
観察者が物語を観察するから物語が存在するのです。
僕は物語を観察する観察者が、物語の語り手だと考えます。
僕は物語を観察する観察者が、物語を語っているのだと感じます。
物語を観察する観察者が、物語の語り手と言えそうです。
本文をお読みくださりありがとうございました。
明読斎