言葉の問題

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お天気の価値を決めるのは誰か?

 僕はこの本を神戸への旅行に行ったときに買いました。

 

「はれた日は学校をやすんで」は、主人公の周囲の人の物語が描かれています。

 

この本は、あ、そうなんだという気づきに溢れています。

 

このあ、そうなんだという気づきは、主人公の価値観です。

 

主人公の価値観がほのぼのとした絵から透けて見えます。

 

ほのぼのとした絵から透けて見える主人公の価値観は、ほとんどにおいて「人間を大事にしている」という価値観です。

 

僕は僕が作る物語にも、この「人間を大事にしている」という価値観を取り入れたいと思いました。

 

僕はお天気の晴れた日の価値を理解することはとても大きな意味を持っていると感じます。

 

僕はお天気の晴れた日の価値を理解することで、少しずつ車が前進するように物語が前へと進んでいくような気がします。

 

お天気は曇りの日もありますし、晴れた日もあります。

 

お天気の曇りの日は家で読書をします。

お天気の晴れた日は学校を休んで外で遊びます。

 

この場合のお天気が曇りの日と晴れた日は等しい価値を持っていると感じます。

 

お天気の価値は他の誰かに決められずとも、僕が決められるように感じます。

 

お天気の価値は今までは他の誰かが決めることだったように感じます。

 

他の誰かが決めるお天気の価値は、本当に正しいのか?と 今、とても疑問に思います。

 

僕はお天気の晴れた日に学校を休む生き方は、お天気の価値を僕が決める生き方だと思います。

 

お天気の晴れた日に学校を休む生き方は、運動会の行進を逆に行くような、他の誰かとは違う生き方です。

 お天気の晴れた日に学校を休む生き方は、お天気の晴れた日に学校に行く生き方と等しい価値を持っていると感じます。

お天気の晴れた日に学校を休む生き方は、僕がお天気の価値を決める生き方です。 

 

お天気の価値は、僕が決めます。

 

本文をお読みくださりありがとうございました。

 

明読斎

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