みなさんこんばんは^^
いつもこちらのブログを訪ねてくださりましてありがとうございます。
今日は、平川克美さんの「移行期的混乱 経済成長神話の終わり」という本の中で、
僕が個人的に大事だと思った部分についての話をしたいと思います。
「いつもそこにあるもの」
この本の中で、僕が個人的に大事だと思った部分は、
第4章 金銭一元的な価値観への収斂—価値一元化への傾斜、
の以下の部分です。
アメリカの労働観の基本は、・・・ハードワークも、倹約も、遊びも、勉強も、すべては金銭という尺度によって計量可能なものであるという金銭価値一元的な考え方である。
これは欲望に価値があるという考え方です。
欲望に値付けをしているのです。
これ自体は考え方です。
良いか悪いかは受けとる方に委ねられるものです。
この考え方に対するものは、
欲望ではないものに価値があるという考え方です。
では欲望ではないものとは何かということですが、
それは、いつもそこにあるものだと僕は個人的に思います。
僕たちが生まれたときから、地球も空気も水も土も太陽も月も、風も緑も虫も動物もあるわけです。
何かを望むことは望むことで良いのです。
しかし、いつもそこにあるものは欲望と同じか、
欲望以上に価値があると、
僕は個人的に思います。
結局、経済って何なのかと言えば、
最後の椅子に座るために、
より大きな欲望を満たすために、
だんだんと椅子が減っていき、
座れる人間の数が減っていく、
欲望の椅子取りゲームだと僕は思います。
経済を回さなくても、
地球も空気も水も土も太陽も月も、風も緑も虫も動物も自然に回っています。
これ以上、経済を回すと
目を回すと思いました。
以上、平川克美さんの「移行期的混乱 経済成長神話の終わり」という本の中で、
僕が個人的に大事だと思った部分についての話でした。
いつもこちらのブログを訪ねてくださりましてありがとうございます。
ではでは。
明読斎🐌💬💰
考えさせる人「ところで椅子取りゲームは好き?」
「椅子取りゲームは大好きだよ。」明読斎
考えさせる人「大好きなんだ。」