みなさんこんばんは ^^
いつもこちらのブログを訪ねてくださりましてありがとうございます。
今日は、物事を"圧倒的に"肯定的に見るための道筋について書きたいと思います。
僕は以前は、物事を圧倒的に否定的に見ていました。
何事においても、否定的な側だけを見てしまい、
否定的な側だけが物事の真実だと思っていました。
しかし、今は物事を圧倒的に肯定的に見ています。
何事においても、否定的な側も肯定的な側も両方を見ており、
否定的な側も肯定的な側も両方とも物事の真実だと思っています。
率直に言って、物事を否定的に見るか肯定的に見るかという問題は、
性格の問題ではありません。
脳の問題です。
では、どのように物事を"圧倒的に"肯定的に見るのか。
物事を"圧倒的に"肯定的に見るには3つの段階があります。
+゜*。+゜*物事を"圧倒的に"肯定的に見るための3つの段階。+゜*。+゜*。゜*。+゜*
✅ 1.圧倒的に否定的な言葉を遣っていることに気づく。
✅ 2.物事は中立だと知る。
✅ 3.圧倒的に肯定的な言葉を遣う。
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1.圧倒的に否定的な言葉を遣っていることに気づく。
まず最初にして最大の難関です。
自分が圧倒的に否定的な言葉を遣っていることに気づくという段階です。
物事を圧倒的に否定的に見るときは、圧倒的に否定的な言葉を遣っています。
自分が圧倒的に否定的な言葉を遣っていると、圧倒的に否定的な言葉を遣っていることが当たり前すぎて、自分が圧倒的に否定的な言葉を遣っていることに気づくのが難しいです。
しかし、自分が圧倒的に肯定的な言葉を遣っているという自覚が薄いなら、圧倒的に否定的な言葉を遣っていると言えます。
圧倒的に否定的な言葉を遣っていると、脳は物事の圧倒的に否定的な側に焦点を合わせます。
例えば、道を歩いていてりんごの木からりんごが1つ落ちたとします。
圧倒的に否定的な言葉を遣うと、
りんごの木からりんごが一つ落ちた。
↓
あぶない。りんごが頭の上に落ちたら怪我して大変だ。
↓
よく見れば、そこらじゅうのりんごの木にりんごがなっている。
↓
いつ頭の上に落ちてくるかわからないりんごの森の中を歩くなんて最悪だ。
こういう感じで、脳は物事の圧倒的に否定的な側に焦点を合わせます。
このときの"圧倒的に"否定的な言葉は
りんごの木からりんごが一つ落ちた。
↓
あぶない。りんごが頭の上に落ちたら怪我して大変だ。
↓
よく見れば、そこらじゅうのりんごの木にりんごがなっている。
↓
いつ頭の上に落ちてくるかわからないりんごの森の中を歩くなんて最悪だ。
です。
否定的な言葉はどうやって作られるのか。
それは、言葉を教えられるのは小さな頃なので、小さな頃に、親たちからこの世界は怖くて危ないところだという見方を教えられることが原因だと僕は個人的には思っています。
そして、日本人は戦争に負けた経験があるので、ほとんど多くの方が、親たちからこの世界は怖くて危ないところだという見方を教えられます。
例に挙げたりんごの森の中とは、言わばこの世界のことです。
圧倒的に否定的な見方をすると、
この世界は、いつ頭の上に落ちてくるかわからないりんごの森の中を歩くことであり、
最悪だと感じるのです。
大事なことは、
りんごは中立なのにも関わらず、
りんごは最悪なものという見方が事実になっていることです。
2.物事は中立だと知る。
では、りんごは本当に最悪なものなのか?
実はりんご、つまり物事やこの世界は、最悪でも最高でもありません。
中立です。
中立とは、真ん中に立っているということです。
物事が定規の端にあって、僕たちが真ん中に立っているのではありません。
逆です。
僕たちが定規の端にいて、物事が真ん中に立っているのです。
だから、
最悪側の端に立って真ん中の物事を見れば、その物事は最悪ですし、
最高側の端に立って真ん中の物事を見れば、その物事は最高です。
物事はいつでも真ん中に立っています。
肯定的な面があれば必ず否定的な面もあります。
僕たちはいつでも定規の端に立っているのです。
3.圧倒的に肯定的な言葉を遣う。
では、物事を圧倒的に肯定的に見るにはどうしたらよいのかということですが、
それは、圧倒的に肯定的な言葉を遣うのです。
どうして、圧倒的に肯定的な言葉を遣うのかといえば、脳は圧倒的に素直だからです。
僕たちが圧倒的に否定的な言葉を遣うと、脳は物事の圧倒的に否定的な側に焦点を合わせます。
僕たちが圧倒的に肯定的な言葉を遣うと、脳は物事の圧倒的に肯定的な側に焦点を合わせます。
最初の例をあげます。
圧倒的に肯定的な言葉を遣うと、
りんごの木からりんごが一つ落ちた。
↓
よかった。食後に果物を食べたいと思っていたんだ。
↓
よく見れば、そこらじゅうのりんごの木にりんごがなっている、嬉しい
↓
いつでもひとりでにりんごが落ちてきて、果物を食べられるなんてりんごの森の中を歩くのは最高だ。
こういう感じで、脳は物事の圧倒的に肯定的な側に焦点を合わせます。
このときの"圧倒的に"肯定的な言葉は
りんごの木からりんごが一つ落ちた。
↓
よかった。食後に果物を食べたいと思っていたんだ。
↓
よく見れば、そこらじゅうのりんごの木にりんごがなっている、嬉しい。
↓
いつでもひとりでにりんごが落ちてきて、果物を食べられるなんてりんごの森の中を歩くのは最高だ。
圧倒的に肯定的な見方をすると、
この世界は、いつでもひとりでにりんごが落ちてきて、果物を食べられるりんごの森の中を歩くことであり、
最高だと感じるのです。
大事なことは、
りんごは中立だからこそ、
りんごは最高なものという見方が事実になっていることです。
脳は僕たちにとって自転車です。
一旦肯定的な言葉を遣うと、自転車を漕ぐように脳はどんどんと物事の肯定的な側に焦点を合わせます。
脳がどんどんと物事の肯定的な側に焦点を合わせれば、
定規の最高側の端にどんどんと立つことが可能です。
ここで、否定的な言葉と肯定的な言葉を拾います。
否定的な言葉
あぶない。
大変だ。
〜られない。
最悪。
肯定的な言葉
よかった。
嬉しい。
〜られる。
最高だ。
何か起きたら、あぶない!と言うのはやめて、
自転車を一漕ぎするようによかった!と積極的に言ってみると良いです。
するとあっという間に、定規の最高側の端に辿り着いています。
物事は中立だから、
この世界は怖くて危ないところではありません。
この世界は安全で安心なところです。
以上、物事を"圧倒的に"肯定的に見るための道筋でした。
いつもこちらのブログを訪ねてくださりましてありがとうございます。
明読斎🐌🍎🍏
考えさせる人「ところで、次のお題は決まっているの?」
「今、考え中だよ。」明読斎
考えさせる人「了解。」