みなさんこんにちは ^^
僕は今も悩んでいるのですが、
今よりもっと悩んでいたときに老子の本を読んで
答えをもらいました。
今日は以前僕が描い老子の漫画に
コメントを載せて再掲したいと思います。
老子は、中国の昔の思想家です。
老子の正体は分かっているようで、
分かっていないです。
老子は頻繁に情勢が変わる乱世の中国にて、
人間がどのように生きたら良いかを説きました。
僕は、今の状況が乱世と同じだと思い、
昔描いた老子の漫画を再掲しようと思いました。
西洋の哲学が、
問題を論理的に解決するのに対し、
東洋の哲学は、
問題そのものを無くして解決すると言われています。
僕は問題は論理的に解決することはないと思ったので、
問題そのものを無くす東洋の哲学の方が肌に合いました。
今はもちろん、今後も悩みは増えると思います。
そんな時に、
悩みそのものを無くせたらどんなに素晴らしいかなと思います。
では老子の漫画をどうぞ。
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の順でコマが進みます。
コメント
今振り返ると直したい台詞があります。
しかし、言いたいことは大体言えました。
こちらの漫画も次の漫画も、老子の核を切り出した漫画です。
僕らはいつもどんなことに悩むのか?という問題が分かれば、
悩みがなくなるだろうと考えてこの漫画を描きました。
僕らはいつもどんなことに悩むのか?という問題に老子が答えるには、
僕たちは、例えば、
「美しい」と「醜い」。
「有る」と「無い」。
「長い」と「短い」。
など同じものに悩んでいるということです。
僕は最初、「美しい」と「醜い」は違うじゃないかと思いました。
同じように、「有る」と「無い」も、「長い」と「短い」もそれぞれ違うじゃないかと思いました。
しかし、老子を理解していくと、
「美しい」と「醜い」は、両者の違いを見ているだけで、どちらも同じものだということが分かりました。
「有る」と「無い」も、「長い」と「短い」も、両者の違いを見ているだけで、どちらも同じものだということが分かりました。
「美しい」と「醜い」、「有る」と「無い」、「長い」と「短い」などがそれぞれ同じものだという考え方をすると、僕たちは両者の違いに悩んでいたのだから、悩みが消えるということです。
この考え方が東洋の哲学です。
逆を言えば、「美しい」と「醜い」、「有る」と「無い」、「長い」と「短い」などがそれぞれ違うものだという考え方をすると、両者の違いに悩み、悩みが現れるということです。
最後のコマで、老子は
「全ての意義を越えて、生きるといいのである」と言っています。
全ての意義というのが分かりにくいと思います。
この台詞はもう少し分かりやすくするなら、
「全ての常識を超えて、生きるといいのである。」ということです。
僕は意義とは常識だと思います。
こっちの方が意義がある。あっちの方が意義があるというのは、
別の言い方をするなら常識です。
美しい方が意義がある。
有る方が意義がある。
長い方が意義がある。
今は様々な意義に溢れています。
意義とはどちらかだけが正しいということです。
「美しい」と「醜い」。
「有る」と「無い」。
「長い」と「短い」。
など、
全ての常識は同じものだということです。