①問題児と呼ばれて
本:さてここからは、僕がNPO法人新極真会静岡湖西豊田道場をやってゆくうえで出会った精神疾患にかかわる出来事を個別に明さんと語っていきたいわけですが、ところで、明さんは問題児でした?
明:問題児ですか?
いままさにそうなような気もしますけど、学生時代は僕は競争社会を懸命に生きる競技者というか、いま考えると戦士でしたね。
自分の心にダメージを与えながら、走り続けていた感じです。
本:強烈ですね。
僕は40後半のいまもタバコも酒も風俗もギャンブルもしませんが、昔から、本と映画、空手も含めた格闘技にしか興味のない社会逸脱者でしたね。
明:問題児ですね。
本:うん。まぁ、世間の大多数のみなさんとは価値観の軸が違うのはたしかだと思う。
明:でもまだこうして社会の中にいるじゃないですか。
本:どうにかこうにかね。 おかげさまで刑務所にも行ったことはないよ。
明:僕もですよ。 刑務所は行ってないです。
本:その点は二人ともよかったと言うか。
明:ですね。 でも、いったいなんの話をしてるんでしょう。
本:僕の同郷の友達でそれこそ幼稚園、小学生の頃から有名な問題児がいてね。
この章は彼の話なんだけど、現時点(2020年)で彼はすでに亡くなっているんだ。
明:親しかったんですか?
本:うん。高校の時は特にね。
彼は双子のお兄さんで、両親ともに教育関係で、たしかお父さんは高校だか中学の校長、幼稚園の園長、町の教育委員会の会長と務めた人で、お母さんは、保険の先生か、保健室の先生。
双子の弟は国立大から大手ゼネコンみたいな。 でもって本人は……
明:ご本人は?
本:すでにいない人のことなんで、とにかく誉めたいんだけど、ありのままに書くと、いつ、どの方向に弾が出るかわからないピストルみたいな人だった。
純粋で危ないヤツだったよ。 それでも取り柄としてとにかく周囲から愛されやすいキャラをしていた。
明:知らない人からしたらコワい人ですか?
本:コワいというよりも、わけわからん人だったと思う。
トラブルメーカーでもあった。
そんなに酒を飲むわけじゃないけど、その言動が意味不明なので、中学時代のアダナがアル中だった。
学生時代はいきなり家出して何日も僕の家に住んでたり、成人してからもあれこれあって。
とにかく学生時代も成人後も一時期は毎日一緒にいたくらい親しい間柄なので、情報が多すぎて書きにくい。
だから、時系列順に書くね。
明:どうぞ。お願いします。
本:まず、彼は子供の頃から体があまり強くなかった。
体温調整のきかない体質で、気温が暑ければ発熱状態になって、寒ければ野生動物が冬眠する動物のように動けなくなった。
中学の時に腸捻転になって危ないところまでいきかけた。精神的には情緒不安定というやつで、幼少期は突然暴れだしたり、相手が教師でも授業中に殴りかかって授業をツブしてしまうヤツだった。
もちろん、あいつにしかわからない小さなキッカケがあってスイッチが入るわけだけれども、それが他の多くの者には理解できないので、まぁ、問題児だよね。
なぜか僕はあいつのスイッチが入る理由がわかる気がしたので、毎回、一緒に暴れたりしたわけじゃないけど、自然とウマがあった。
コミュニケーシが取れたんだよね。
彼はスイッチが入れば、学校でも街中でも、相手がどれだけヤバそうなヤツでも殴りかかるぐらいは日常茶飯事さった。
明:キルスイッチですね。本さんもそういう人なんですか?
本:いやいやおかしな例えだけど、ヤツが実行犯だとすれば、僕は横にいてヤツの行為を説明や弁護するネゴシエイターみたいな感じだったよ。
ヤツにもよく、本は口って言われてた。
明:タチの悪い二人組ですね。
本:時には一緒に二人で暴れたりもしたけどね。
②人目が怖くなって へと続く