① 二、三章の二人以降の湖西豊田道場は・・・新居町体育協会空手部から新極真会へ。 続き
って、ところで、僕が極真会館地方支部に在籍時に見たものや、なぜ体協の空手部を新極真会へ移籍させたかなどなど、いわゆるゴシップネタをわんさか書こうかとも、思ったんだけど、それはやめて、
明:なぜ、ですか?組織の報復が怖いとかですか?
本:うん。と、いうわけでもなくて、だいたいこの本をそんなにたくさんの人は読まないと思うし、(それでも意外な人が目を通すのがネット上の文章の怖いところなんだが)それにね、ざっと、一日くらい考えてみて、これは無限ループというか無限地獄なので、そこにこの本まで加わらなくてもいいなと思った。
明:では②金と女と極真空手は、やめですか?
本:読者の方、その章題から、当初、僕がなにを書こうと思ったのか、想像してください。
だいたい、その想像はアタリだよ。
それで、本は極真会館から離れた、と。ここで僕がそれを書いても、生徒、後輩が師範、先輩を悪くいう、師範は組織、同輩、生徒を悪くいうのグルグルのタネが一つ増えるだけ。
明:新極真会はそういう組織ではなかったんですね。
本:静岡湖西豊田道場は、新極真会に属してはいるけれど、新極真会がなにもやましいところのない組織だとは、僕は言い切れないね。
明:そこでもまたいろいろ見てしまったんですか?
本:僕が個人がというよりも、有名選手や支部長が社会的な事件を起こして、マスコミで取り上げられたり、服役したりしてるからね。
その点を指摘されれば、はい、その通りです、としか言いようがない。
ただね、極真会館も新極真会も、その他の極真空手団体も、みんな武道団体を謳ってはいるけれども、多くは21世紀を生きる普通の現代人で構成されているわけで、他の日本の一般社会の会社や学校とかわらないような事件も事故も起きてるし、スキャンダルもある。
この国の国会だって、スキャンダルまみれじゃん。
明:開き直りですか?
本:うん。極真空手の道場に特に聖人君主が集うわけじゃないですよ、と。
僕のとこは、団体ごと新極真に移籍する時に、ウチは心身に障害があったり、引きこもりだったりする人のバックアップに全力を注ぐ道場として、やっていきますよ、とあらかじめ話をして、そのまま、ある意味、独立独歩でやってるよね。
特にそれで特別支援金とかもらってないけど、その体で、病院、企業や支援組織と話し合いをしてるし、こうして作家さんたちとも対話の場を持ってる。
明:そういえば、本さん、空手日本一を目指してませんよね。
本:組手の日本一は、部門に問わず目指してないね。
根っこのところで、静岡湖西豊田道場は、極真の歴史をちょっと調べればわかるけど、朝鮮人だった大山倍達総裁が、はじめのはじめに日本で差別的扱いを受けていた在日朝鮮人のみなさんをバックアップする(強くする)グループとして創設した大山道場、極真会館の精神というか、別に在日朝鮮人じゃなくても、現代の社会的弱者のみなさんに強くなってもらう精神のバックアップを目的にしてるからね。
明:僕は空手に関しては全く無知なので、この本のテーマは勝手ながら「明読斎、空手と出会う」でもあるんです。そこで、本さんに空手のことを色々とお伺いしてもいいですか?
本:いいよ。どんなことでも聞いてよ。
明:ありがとうございます。では、空手のタイトル戦とかあれば、タイトルの重みとかはあると思いますが、そういうのは無しに、、空手に対する勝ちの重みってどのように考えていますか?
本:うーん。各大会や流派、組織に格があって、その格が高いところでの戦績はキャリアとして重視されるよ。ただ、他のスポーツ、勉学と同じで、個人的には気にしない人はどこで勝とうが負けようが気にしません。
明:そうなんですか?僕は無知なので知らなかったんですが、空手や武道は勝ちを結構気にするのかと思っていました。
そうすると、人にもよるでしょうが空手で重視するのはどういうところですか?
本:僕はそこに至るまでの努力がどれだけできたかが重要で、勝敗自体は、神が決めるというか時の運みたいなものだと思っています。
明:僕が予想していた答えとは違いますね。
僕はもっと実力みたいな答えを予想していましたが、勝敗自体は意外にも神や運によるというところがあるのですね。続いて、「努力」という言葉が出ましたが、努力しない人をどう思いますか?
本:日本の空手界では、大きく、フルコンタクト派と、伝統派(組手試合は寸止めもしくはライトコンタクト)に分かれていて、それぞれに強豪流派、メジャー大会があり、そこで勝つと、おおーっすごいねぇ、と感心されますね。
で、努力しない人は僕のいるフルコン流派の場合、それで試合に出るとだいたいケガをするか、運が悪いと大ケガをするので、個人的には試合に出ないほうがいいと思います。
明:なるほどー。努力しないやつはやめちまえ。みたいな答えかと思いましたが、やっぱりいそこはケガを心配する指導者なんですね。
もう一つ質問です。空手でこれをすることだけは許せないということはありますか?
本:空手、こと、フルコンタクトカラテは、上も下も犯罪を犯した経験のある人もいたりして、フリーダムなのですが、それはやはり、人が集まるコミュニティーですので、その道場ごとにいろいろ規律があります。
僕、個人の偏見として、会社のグチを道場で話しているような人はダメだと思う。
明:社会にも向き合いましょうってことでしょうか?
では、最後の質問です。空手が世間に対して誤解されているなと思うことはありますか?そして、その誤解はどうすれば解けると思いますか?
本:あくまで、僕の経験論的、持論なんだけれども、空手は実践者もファン的応援者も、よくも悪くも精神的に幼稚な人が多いです。
ですから、僕としては、やってる人、ファンは己を見つめて、自分たちは優れておらず幼稚な人間だと自覚して欲しいです。
世間の多くは言葉にしなくてもそれをわかっているので、それが現在の日本の空手に対する一般の対応だと思います。
ようするに、もっとよく思われるには、世間一般に対してプラスになる空手(道場)をするしかないと思って、心の問題に取り組んだり、いろんな人と対話して本を書いたりしています。
明:ありがとうございます。それで今回の本に繋がるわけですね。僕は本さんの言葉の中で「幼稚」という言葉が印象に残りました。
というのも、僕もこの本の最初の方で「幼児」という言葉を使ったからです。
僕たち二人は何かしら大人でありたいという思いを持っているのかもしれません。
そこで番外編の質問なのですが、本さんにとってどういう人が大人ですか?ちなみに僕は、自分に責任を求める人が大人だと思います。逆を言えば、周りに責任を求める人が子供です。
本:僕は物事に対する距離の取り方で、大人と子供を判別していると思う。
明さんの例は物事に関する責任の取り方の距離だよね。空手家に幼児性を感じるのは、社会的にはなにもしてなくても、素手で牛を殺したからスゴイとか、どこそこの大会で優勝したから立派とか、黒帯だから立派とか、実際は家族に迷惑をかけて、会社のお荷物なのに、それでも、そっちでの実績で胸を張る人が多いからです。
現実生活に背を向けて、道場(武道ロマンの世界)へ逃げるな!と。最強ならなんでもOKとか、バキじゃないんだからさ。
明:評価よりも人間的なところを見ておられるんですね。
本:家族も含めて自分以外とほどよい距離を取って、迷惑をかけずに、この社会で快適に生きようと努力するのが大人だと思います。
子供はそういうことは考えないし、まだ、考えなくていいよね。
明:体が大人でもそういうあり方をしていれば、中身は子供ってことですね。
ところで、日本で差別的扱いを受けていた在日朝鮮人のみなさんをバックアップするって、もしかして本さんは、韓国の方?
本:違うよ。愛知県在住の純日本人です。
一般の道場生でここに着目してる人にはあまり会わないけど、極真空手の原点はそうした思想を含んだ団体だから、いまになっても、自然と社会の大きな枠から弾かれた人、はみ出す者が集まりやすい場所だなぁ、とはずっと思ってきたね。
ので、一般的にダメ人間(会社や学校の大多数になじめない人)と呼ばれる入門者が多くても組織の性質的には当然かな、と。
明:こんな本さんの道場の存在を許す新極真会は、懐が深い組織、だと。
本:うん。うちの場合、それと、病院や児童・障害者支援施設にも非常に助けられております。
明:叩いて、蹴って、オレは強いぜー! ではなくて、ですね。
本:いまはそれで胸を張れる時代でもないしね。では①はここで終わりにして、改めて②の「最近の事例として本気で本、警察に被害届を出す」へ移りますね。
明:やっぱり、警察沙汰になってるじゃないですか!
②最近の事例として本気で本、警察に被害届を出す へと続く