言葉の問題

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政治と歴史の問題

みなさんこんにちは。

 

今回も、「人類の知的遺産1 古代イスラエルの思想家」から

 

面白いと思ったところを紹介します。

 

「人類の知的遺産1 古代イスラエルの思想家」からは

 

今回が最後となります。

 

面白いと思ったところはこちらです。

 

歴史をつくる国家が歴史を書くことができ、歴史記述は政治生活から生まれる。

 

歴史は政治から生まれるとのことですが、

 

この言葉は耳にされたことのある方は結構いらっしゃると思います。

 

僕たちが習った歴史というのは、

 

政治から生まれた歴史だという側面があると思います。

 

僕がここで問題にしたいのは、

 

じゃぁ、本当の歴史ってどういう歴史なのか?ってことです。

 

仮に歴史が政治から生まれたのだとしたら、

 

僕たちの習った歴史は、政治的な思いが反映された歴史となり、

 

本当の歴史とは言い難いものになります。

 

しかし、結局はどんな国家であれ、

 

歴史に介入してくるのであれば、

 

もはや本当の歴史なんてないのかもしれないのかもしれないと思います。

 

つまり、どういうことかと言えば、

 

客観的な史実というものはないのかもしれないということです。

 

僕が最近よく疑うことに、

 

客観的ということがあります。

 

学問ではよく客観的なことを重要視する傾向があります。

 

しかし、客観的なことに主体的なことが一切入っていないのかと言えば、

 

そんなことはないと思います。

 

客観的なことには必ず主体的なことが入っています。

 

ですから、どんな史実だとしても、

 

必ず主体が入っており、

 

歴史は、必ず誰かの主体で語られるということです。

 

それならば、誰の主体で歴史を見るのかという問題になります。

 

僕が思うには、その答えは、各自なのだと思います。

 

各自が見た歴史が本当の歴史なんじゃないかなと思うのです。

 

 他人が見た歴史を本当の歴史だよと言われても、

 

僕としては納得がいかないことがあります。

 

僕個人としては少なくとも政治から切り離した歴史が

 

本当の歴史に近いような気がします。

 

歴史を読むときに、政治を差し引いて読むと、

 

本当の歴史のおぼろげな形が出てくるような気がします。

 

今回はかなり概念的な話でしたが、

 

次は「人類の知的遺産2 ウパニシャッドの哲人 」に進みたいと思います。

 

ありがとうございました。

 

明読斎

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