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絃月おとさんの「神様も大変だよ」の考察

みなさんこんばんは。

 

今回は、Twitterで頻繁にいいねしてくださる

絃月おとさんの「神様も大変だよ」

の考察をします。

 

色々な作品がある中で、

「不運を嘆く少年と、陽気な神々が織りなすハートフルコメディー」とキャッチコピーにある通り、

世知辛い世の中で明るい気持ちになりたいと思い、

この作品を選びました。

 

短い話ですのでぜひご一読くださると、

考察をより楽しめることと思います。

 

 

絃月おとさんの「神様も大変だよ」はこちらです。

estar.jp

 

①「神様も大変だよ」をどう読むか?

まずこの作品には神様が出てきます。

それで、この神様とは一体どんな存在なんだろうと考えてみると、

神様が演じている役割が朧げながら見えてきます。

それは主人公が少年だということと対比してみると分かります。

僕はこの作品に出てくる神様とは大人なんじゃないかと思います。

少年はいきなり冒頭で、テストは赤点だし、菓子の持ち込みは見つかるし、

好きなこのチューは見ちゃうし「何もかもが上手くいかない」と学校生活での不運を嘆きます。

それで、少年は神様にお願いをしますが、僕はそのお願いの内容が肝心だと考えました。

それは「テストをなくしてくれ」とか「学校にお菓子箱を設置してくれ」とか「・・・」とかではありません。

そうではなく、少年の願いは「神様になりたい」でした。

これは、少年がなんでも願いを叶えられる神様になりたいということです。

それはつまり、少年がテストをなくしたり、学校にお菓子箱を設置したり、・・・することのできる存在になりたいということです。

それで、現実世界でそれらが出来る存在は大人です。

ですから、少年は「大人になりたい」と願ったのだと考えられます。

そうするとこの作品は、少年の目から大人を描いた作品だと読むことが出来ます。

それで、少年の世界と対比されるのは、大人の世界です。

この作品内に登場する神様の世界とは現実の世界であり、つまり大人の世界であり、もっと焦点を絞れば、会社です。

ですから、この作品内に登場する神様の世界、つまり出雲大社は会社です。

作品の中で「リーダー不在の話し合い」と表現される通り、神在月出雲大社はまるで会社です。

そこには、リーダーの大国主様や、先輩の神様、新参の神様などが登場します。

彼らの役職名は、まるで会社の縦社会です。

ある時、新参の神様が少年の願いを叶えるという形で、実態は仕事の押し付けかもしれませんが、少年に神様の世界を覗かせます。

この部分は、少年が大人の境界線を越え、大人の世界に足を踏み入れたと読むことが出来ます。

しかし、少年が仕事を押し付けられて抱いた感想は、神様は大変だし、忙しいし、上司が怖いというものでした。

少年の目から見た神様の世界は、大変で、忙しく、上司が怖かったということです。

少年はここで神様について思いを巡らすのですが、それは言わば少年が大人について思いを巡らせたと読むことが出来ます。

少年は神様の世界を覗いて、神様は大変だなぁと思ったことだと思います。

現実世界の大人も確かに、大変だし、忙しいし、上司は怖いです。

しかし、その中でより良い社会を目指しています。

少年はそんな神様たちに「ゆっくり休めますように」と願います。

少年の目から見た大人はきっと神様なんだと思います。

その少年の願いが叶う形で、神様たちには働き方改革が行われ、休暇が与えられ、神在月後の休暇が毎年恒例になりました。

少年が大人の境界線を超えて、少年の目で大人の世界を見る。

そして、忙しい神様たちに「ゆっくり休めますように」と願う。

その結果、神様の世界では、働き方改革が行われたというわけです。

現実の世界でも、子供の頃の気持ちを思い出して社会を見てみれば、

やはりおかしいと思うことはたくさんあります。

そんな時に、この作品の少年のように、神様に「ゆっくり休めますように」と願えば、その願いはきっと届くはずです。

題名の「神様も大変だよ」とはつまり、「大人は大変だよ」ということです。

大人の世界が変わるには、

少年の気持ちを忘れてはいけないということだと思いました。

僕たちは普段は大きな悩みを持つ大人の世界に慣れています。

大人の世界は大変なことが当たり前だし、忙しいことが当たり前だし、上司が恐いのも当たり前です。

しかし、僕たちは元々はこの少年のように、小さな悩みを持つ子供だったということです。

 

②「神様も大変だよ」の対立軸

「神様も大変だよ」の対立軸を探ります。

まず、大きな対立は神様と少年。

そして次に大きな対立は、大人と子供。

続く形で、出雲大社と学校。

そして、仕事と勉強があります。

この作品は前の項目に書いたように、

少年の目から見た大人の世界と読むことが出来ます。

それで、僕たちは大人の世界に住んでいるわけですが、

その中には、必ず子供の世界があります。

しかし、僕たち大人は子供の世界のことを忘れます。

子供の世界とは、言い換えれば、子供の悩みです。

僕たちは子供の頃、確かにテストは赤点だし、菓子の持ち込みは見つかるし、好きなこのチューは見ちゃうし、、、何もかも上手くいかないと悩んでいました。

子供には子供の悩みがありました。

しかし、大人の僕たちはそんな子供の悩みを忘れてしまいます。

子供の悩みを忘れて、大人の悩みに右往左往します。

何が言いたいのかというと、僕たちはそんな子供の悩みを思い出す必要があったということです。

子供の悩みも大人の悩みも、悩んでいる点では同じです。

子供は大変ですが、大人も大変です。

しかし、大人の僕たちは、そんな子供の悩みを忘れてしまいます。

すると、この作品から、

「そんなに大人の悩みばかり追いかけないで、子供の悩みを思い出そう」という

真のメッセージが聞こえてくるのはきっと僕だけではないと思います。

 

③「神様も大変だよ」の結末が意味すること

この作品は、追記という形で

「みんなも神様を喜びの涙でびちゃびちゃにしてみよう」と書かれています。

しかし、ここまでの考察を踏まえれば、

このメッセージは、

「みんなも大人を喜びの涙でびちゃびちゃにしてみよう」と読むことが出来ます。

つまり、大人を喜ばせてみようと言っているわけです。

これは明らかに子供に向けて書かれたメッセージです。

ですが、このメッセージは、子供を通して、大人にも向けられています。

大人に向けて、大人は確かに大変だし、忙しいし、上司が恐い。

けれど、喜びの涙でびちゃびちゃになってみようと、言っているわけです。

じゃぁ、何が喜びなのかというのは重大な問題です。

神様の世界では神在月後の休暇が毎年恒例になったように、

おそらくは、大人たちもゆっくり休んでみようと言っていると読むことが出来ます。

ですから、大人は大変だし、忙しいし、上司が恐い。

けれど、ゆっくり休んでみようというわけです。

結末では「少年の人生もマシになったとかならなかったとか」と括られます。

少年は神様に「ゆっくり休めますように」と願いました。

その願いは巡り巡って少年の人生に影響を及ぼしたようです。

その願いは少年が発信したものです。

ですから、自分の人生を変えるには、自分から動くことが大事だと思いました。 

 

最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

 

おまけ:検討図

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過去の考察はこちら。

kotobanokoto.hatenablog.com

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