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安積みかんさんの「正しさへの憧憬」の考察

みなさんこんばんは。

 

今回は、Twitterをよく拝見させていただいている

安積みかんさんの「正しさへの憧憬」

の考察をします。

 


僕は個人的に、

正しさについて書かれた作品が好きです。

なので、琴線にビビッと引っ掛かり、

この作品を選びました。

 


短い話ですのでぜひご一読くださると、

より考察を楽しめることと思います。

 

 

 

安積みかんさんの「正しさへの憧憬」はこちらです。

estar.jp

 


①「正しさへの憧憬」をどう読むか?

まず主人公は安藤といいます。

それである日、安藤の勤める会社に新入社員のぴーちゃんが入ってきます。

そのぴーちゃんが、安藤からすると正しさを絵に描いた存在に見えるのです。

この作品ではそのぴーちゃんの正しさがこれでもかというぐらい描かれます。

それで、ここで気になるのが、この作品で言う正しさって何だろう?ということです。

安藤は冒頭で、正しい人について独白します。

安藤によれば正しい人とは、

・正しさを振りかざすことを正義という人、であり

・自分と違う意見を徹底的に否定する人、であり

・自分の「常識」はみんなの「常識」である人、であり

・「正解」や「常識」に沿って行動し、自分の感情を素直に表に出せる人、である。

安藤はこのような人が正しい人だと言います。

それはつまり、安藤自身はこの対極にあり、正しくない人だと独白しているということでもあります。

ですから、安藤自身は逆説的に

・正しさを振りかざすことを正義と言わない人、であり

・自分と違う意見を徹底的に否定しない人、であり

・自分の「常識」はみんなの「常識」でない人、であり

・「正解」や「常識」に沿って行動せず、自分の感情を素直に表に出せない人、であるということです。

ですから、安藤とぴーちゃんは対極にいるわけです。

それで、そんな正しい人を安藤は羨ましいとは思うけれど憧れはしないと言います。

この作品では、安藤目線で見たぴーちゃんの正しさが冒頭から描かれます。

その正しさは例えるなら、安易なあだ名で喜んで見せたり、自分ではない誰かのために怒ったり、自分が加害者側になったり炎上したりすることはないと信じ、そうなる可能性すら考えずに過ごしたりという正しさです。

一方では、安藤は自分を正しくないと見ています。

僕はこの辺で、この作品で描かれる、正しいことと正しくないことについて、とても興味を覚えました。

というのは、この作品で描かれる、正しいことと正しくないことが、とても深い意味を持っていると感じたからです。

正しいことと正しくないこととは、一見、誰から見ても正しいことと、誰から見ても正しくないことを言っているように見えます。

しかし、その実態は安藤から見た正しさであるように思えました。

ですから、正しいことと正しくないことは、表面的な意味とは別の意味がありそうだなと感じました。

それである時、宮下さんの存在がぴーちゃんの後を追うように安藤の中で日に日に大きくなっていきます。

この辺から、僕の中の安藤像が少しずつ狂っていきます。

いや、安藤は絶対に宮下さんを好きにはならないだろうという思いが膨らみます。

なぜなら、宮下さんを好きになるということは、安藤と対極であるぴーちゃんと同じ人を好きになるということだからです。

ですから、物語がこの辺からさらに深くなってきた感じがしました。

どちらかというと、安藤は本来なら宮下さんを否定するんじゃないのかと思って安藤の行動を見守ります。

そして、ここまでずっとぴーちゃんと安藤の対比が描かれてきたのですが、この辺で、この作品で言う正しさとは何かが朧げに見えてきます。

この作品で言う正しさとは、自分をどう見るかだと思いました。

そういう意味でぴーちゃんと安藤は対極です。

ぴーちゃんは正しくて、安藤は正しくありません。

ところが最後で、この認識がガラッと変わります。

僕はこの瞬間に鳥肌が立ちました。

最後に、安藤は自己嫌悪が大好きで「不幸」に酔いしれる私の存在に気づいたと言います。

さて、ぴーちゃんってどんな人だったかと考えると、

ぴーちゃんは「幸せ」な自分が好きです。

そして、安藤は「不幸」な自分が好きです。

ぴーちゃんと安藤は「幸せ」と「不幸」が違いますが、同じように自分が好きです。

これまでずっと対極だと思っていた二人が、

安藤の最後の独白で、実は同類だと気付きます。

僕はここで、安藤が宮下さんを好きになったのは二人が同類だったからなのだと納得しました。

対立する二人も同類なのだと考えさせられました。

安藤は最後に、「正しくなさ」にすがって生きていくしかないと言います。

これは「不幸な自分」にすがって生きていくしかないと言い換えられます。

しかし、最後に安藤の向かう方向は宮下さんとぴーちゃんと同じ方向です。

僕はこの部分はとても余韻を残す最後だと感じました。

安藤は「正しい」足跡を「正しくない」人間の足で踏みにじると言います。

しかし、安藤は結局、ぴーちゃんと同じ場所に足跡をつけます。

僕はこの場面は、逆方向に向かっていたものが、急に同じ方向に向かった瞬間だと思いました。

そして、「正しいこと」と「正しくないこと」が一つになった名場面だと思いました。

 


②「正しさへの憧憬」の対立軸

「正しさへの憧憬」の対立軸を探ります。

まず大きな対立は、正しいことと正しくないこと。

続いて、ぴーちゃんと安藤。

それに続く形で、多くの正しさと正しくなさ。

最後に現れる幸と不幸。

この作品はとても大きな対立軸を描いています。

そのおかげで、ぴーちゃんと安藤がまるで対極だと

思いながら読むことになります。

正しいことと正しくないことは対極。

これこそが、僕たちが本当に考えるべき問題だったのかもしれません。

ぴーちゃんと安藤がずっと対極にいると思いながら、

最後で、二人が実は同類だと気づきます。

これは、世にある正しさについても同じことが言えるのかもしれません。

「正しいことと正しくないことは同類だよ。」

この作品から密かにそんなメッセージを感じます。

それは、ひいては幸と不幸も同じだよと言い含むぐらいの強さに感じました。

それと同時に、正しいことと正しくないことの脆さも感じます。

正しいことと正しくないことは、この物語のように、ちょっとしたことで殻が割れて、中から同じものが出てきてしまうのかもしれないと思いました。

そして、対立するのは本来は似た者同士なのかもしれないと思いました。

僕は、最後に安藤の殻が割れる瞬間がとても見事だと感じました。

この作品は、ともすれば、安藤は宮下さんのことが嫌いになり、ぴーちゃんと宮下さんとは逆の方向へ向かうという結末だってあり得たはずです。

しかし、そうすると結局は、普通の結末だと感じます。

安藤が宮下さんのことが好きになり、ぴーちゃんと宮下さんと同じ方向へ向かったからこそ、この作品はとても深いと感じます。

僕はこの結末が大好きです。

 

③「正しさへの憧憬」の結末が意味すること

何度も書いてきたように、安藤は結末で宮下さんとぴーちゃんのもとへ向かいます。

僕はここで、安藤の中身が出てきたと感じます。

それまでは安藤は、殻の中にいたように感じました。

安藤は殻の中から外の様子を伺い、

自分は正しくないんだぞ、

自分のことは嫌いだぞ、と

自分をチクリチクリと刺しているように見えました。

しかし、最後に殻から出てきた安藤は、まるでぴーちゃんとそっくりだと感じました。

安藤は「自分のことが嫌いな自分」が好き。

その様子はまるで、安藤がずっと嫌っていた正しい人のようです。

そして、安藤が殻から出た瞬間に、安藤の周りを囲っていた「正しくなさ」が消滅しました。

安藤はまるで「正しくなさ」という武器を片手に世を渡って来たかのようです。

最後、宮下さんとぴーちゃんのもとへ向かう安藤が、ぴーちゃんの足跡を踏みにじっているのに、

「正しくなさ」という武器を持っていないように見えたのはきっと僕だけではないと思います。

僕は最後の場面で、ぴーちゃんと安藤の足跡が徐々に雪の上で溶ける様子が目に浮かびました。

 


最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

 


おまけ:検討図

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過去の考察はこちら。

kotobanokoto.hatenablog.com

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