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判決文を読む 平成31(う)5  傷害致死被告事件 判決文より

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僕は怖さには種類があると考えます。

 

以下は、ある事件の被告人二人の行動です。

 

平成31(う)5  傷害致死被告事件 判決文より

「Cは階段の両側の手すりを持って、自身の身体を持ち上げ、寝ている体勢の被害者の顔面、頭部、胸部付近を踏み付けた上、両足を持ち3階まで被害者を引きずり下ろし、寝ている体勢の被害者の頭部や腹部をサッカーボールを蹴るように数回蹴ったその後、被害者がいびきをかき始めたところ、被害者の顔面を蹴り上げた」

 

「Aは店員という立場を意識することなく自身の感情のままに被害者に暴行を加え、流血した被害者の状況を何ら顧みることなく接客していた」

 

Cの行動は怖いです。

それは疑いようがありません。

 

同様に、Aの行動も怖いです。

 

ただ、僕が特に怖いと思ったのは

Aの「流血した被害者の状況を何ら顧みることなく接客していた」

という部分です。

 

被害者が流血しているという異常事態にありながら、

普通に接客していたという心理が特に怖いです。

 

暴行も怖いですが、

普通に接客する方がもっと怖いです。

 

人が血を流しているのに、経済活動をすることに冷たさを感じます。

 

接客をしていたので、

他にお客さんもいたということです。

その状況を想像すると、とても悲しいです。

 

金銭トラブルの末の事件のようですが、僕はこういう状況には陥りたくないと思いました。

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