言葉の問題

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愛と恐れとエヴァンゲリオンと・・・。

 

みなさんこんにちは。

 

今回は、

 

愛と恐れとエヴァンゲリオンと・・・という話をします。

 

僕はエヴァンゲリオンが好きで作品を観てきたのですが、

 

最新作の映画「シン・エヴァンゲリオン」はアマプラで途中まで

 

観たと言う感じです。

 

それで、

 

僕の妄想を踏まえた、話をしたいと思います。

 

この作品は、主人公の碇シンジくんの物語だと思うのですが、

 

碇シンジくんが一体何に恐れているのかという話です。

 

これは、シン・エヴァンゲリオンを観てふつふつと感じたことですが、

 

碇シンジくんはお父さんの碇ゲンドウを恐れているのだと感じました。

 

碇シンジくんは一見、人間全般に対して恐れを感じているようですが、

 

碇ゲンドウが重要な鍵を握るようになってから、

 

やはりこれは碇シンジくん碇ゲンドウへの恐れを描いた作品だったのだなと

 

思いました。

 

それで、作者の庵野秀明さんお父さんは、

 

製材所でノコギリを使ってに事故に遭い、左足の膝から下を失い義足を使っていたそうです。

 

この、

 

庵野秀明さんお父さんの関係というのが、

 

作品にとても投影されているように感じます。

 

それで、碇シンジくん碇ゲンドウを恐れているようにも見えるのですが、

 

恐れがあるということは、その中には愛があるということです。

 

碇シンジくん碇ゲンドウを愛しているのだと思いました。

 

同じように、庵野秀明さんお父さんを愛しているのだと思いました。

 

作品中にたくさん出てくる機械やロボットを見れば、

 

庵野秀明さんの義足を使っていたお父さんへの愛を

 

強く感じます。

 

庵野秀明さんの作品中にたくさん出てくる機械やロボットは、

 

義足を使っていたお父さんの象徴として、

 

見ることが出来るからです。

 

そもそも碇シンジくんが機械のエヴァンゲリオンと一体となって、

 

使徒(敵)と戦うというモチーフは、義足を使っていたお父さんへの愛そのものだなぁと思います。

 

ここで、使徒という敵について考えてみると、

 

碇シンジくんの恐れというのは、結局お父さんへの恐れなのですから、

 

使徒お父さんへの恐れを表しているのだと感じます。

 

お父さんへの恐れが、あのぐにゃぐにゃした感じの造形として

 

表されているようにも見えます。

 

これは、庵野秀明さんお父さんへの恐れを表しているとも感じます。

 

それで、エヴァンゲリオンはATフィールドという防御膜を使います。

 

これは、お父さんへの恐れから身を守るための防御膜だとも考えられます。

 

作品の中では、

 

碇シンジくん碇ゲンドウを恐れ、

 

碇ゲンドウ碇シンジくんを恐れている。

 

どちらもお互いを恐れているこの関係は、

 

現実の

 

庵野秀明さんお父さんの関係と見ることが出来ます。

 

ですから、

 

僕が観なかったシン・エヴァンゲリオンのラストを妄想するなら、

 

本当は、

 

碇シンジくん使徒(=碇ゲンドウ氏への恐れ)を撃破し、

 

ATフィールドを解除(=恐れを解除)し、

 

碇ゲンドウを愛すという話であってほしいと願っています。

 

碇シンジくんがもし、碇ゲンドウを愛すことが出来たら、

 

碇ゲンドウも、同じように使徒(=碇シンジくんのへの恐れ)を撃破し、

 

ATフィールドを解除(=恐れを解除)し、

 

碇シンジくんを愛すことが出来るのになぁと思いました。

 

このエヴァンゲリオンという作品は、

 

父と子の愛。

 

つまり、

 

父子愛を描いた作品なのだなぁと思いました。

 

長い話におつきあいくださりありがとうございました。

 

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