言葉の問題

作品を発信するブログ。

はてなブログのお題 「#この1年の変化」

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みなさんおはようございます。

 

今回は、はてなブログのお題に沿って書いてみたいと思います。

 

お題は、「#この1年の変化 」です。

 

僕がこの一年で変化したことは、

 

仕事の上で、

 

作業者のポジションに甘んじていたところから、

 

リーダーのポジションに挑戦したことです。

 

僕はずっと前にリーダーのポジションに挑戦したことがあったのですが、

 

色々な人に気を使う必要があるし、

 

責任は重いし、

 

リーダーのポジションは給料の割に合わないなと思っていました。

 

それで、しばらくはずっと作業員のポジションに甘んじていました。

 

ですが、

 

あるとき、ずっと欲しいと思っていたiPad proを買うには、

 

収入が少なく、現状のままでは駄目だと思い、

 

リーダーのポジションに挑戦しました。

 

それは、

 

色々な人に気を使ったり、

 

重い責任を背負うことだとは分かっていました。

 

ですが、僕の夢である漫画で世界中の人々を幸せにするには、

 

どうしてもiPad proが必要です。

 

それで、リーダーのポジションに挑戦したところ、

 

少しずつ収入が上がっていきました。

 

そして、先月、とうとう念願のiPad proを買うことが出来ました。

 

このブログ記事もそのiPad proで書いています。

 

リーダーのポジションをやるのはとても大変でした。

 

ですが、色々勉強にもなりました。

 

そして、以前はリーダーのポジションは給料の割に合わないと思っていましたが、

 

今は給料以上の学びを手に入れたと思っています。

 

僕にとってはこの1年の変化は、

 

仕事の上で、

 

作業者のポジションに甘んじていたところから、

 

リーダーのポジションに挑戦したことでした。

 

ありがとうございます。

 

明読斎

 

 

 

 

 

 

木下すなすさんの「この夏に道が変わる」の考察

みなさんこんばんは。

 

今回は、Twitterでよくいいねしてくださる

木下すなすさんの「この夏に道が変わる」

の考察をします。

 

色々な作品がある中で、

僕が今ちょうど、老子に関する本を読んでいることもあり、

「道」という言葉に興味が湧き、この作品を選びました。

 

短い話ですのでぜひご一読くださると、

考察をより楽しめることと思います。

 

「この夏に道が変わる」はこちらです。

estar.jp

 

①「この夏に道が変わる」をどう読むか?

まず中学生の蒼太が道に関する独白をするところから物語が始まります。

それで、題名に「道」とあるように、道に関する話なのだなと読むことが

出来ます。

僕は今ちょうど老子に関する本を読んでいることもあり、「道」というのは、

通行する道であると同時に、万物を生むものであり、行き方や、生き方を表すのだろうなということを想像します。

本文中の「道は何通りかある」という表現が、そのことを暗示しているように思います。

それで、蒼太はどうやら、何通りかある道の中で、逸れた道を行くことが日常となっているようです。

そのことを蒼太は、「最短のルートを行くのが日常」と表していますが、この言葉が最後に意味を持ってきます。

そして、この時点で気になるのが、季節が夏ということに意味があるんじゃないかということです。

題名にも「夏」とあります。

蒼太は「よく晴れて世界が一層ビビッドに見えるこの季節が鬱陶しいとしか思えなくなった」と表現します。

僕は個人的にはこの「よく晴れて世界が一層ビビッドに見えるこの季節」というのは、単純に夏を表すのと同時に、中学生になり、物事がよく分かるようになった現在を表すのではないかという気がしました。

つまり、蒼太は物事がよく分かるようになるにつれ、世界が一層ビビッドに見えるようになった。

しかし、そのことを鬱陶しく感じるようになったと表しているようです。

それと同時に、蒼太は進学や勉強について、「高校に行って何するの?」と疑問を感じていることが窺えます。

蒼太はある時「こういうときに、あの人は打ってつけだから」と、叔母さんを思い出します。

その叔母さんが差し出したのは、蒼太が昔使っていた漫画の専用道具と、夢中になって描いていた漫画です。

これらは蒼太が少年時代に使っていたものです。

漫画を夢中になって描いていたと表現されるように、漫画は蒼太にとっての夢でした。

それで、蒼太は夏が鬱陶しく感じるようになった理由を見つけます。

その理由は、勉強ばかりして漫画を描かなくなったからです。

それは言い換えれば、夢を追いかけなくなったからであり、ひいては、平坦な道を行くようになったからです。

ですから、少年時代の蒼太は逆に、漫画ばかり描いていて、夢を追いかけていて、坂道を行っていたということが窺えます。

ここで少年時代と現在の蒼太の対比が見えてきます。

蒼太は少年時代は「長期休暇の時はせっせと描いて自分だけの世界を形にしていた」と表現されるように、特に夏休みにも漫画を描いていたようです。

ですから、現在の蒼太は勉強ばかりするようになった夏がより鬱陶しく感じるようになったのだと思います。

そして、叔母さんからこの作品のメッセージとも取れる言葉を聞かされます。

「本気でやって無駄になることなんて一つもないのよ」

僕はここで頷いてしまいました。

現実においても叔母さんという存在は特殊です。

叔母さんは、どこか程よい距離で本当の自分を見ている存在であったりします。

そんな叔母さんだからこそ、漫画の専用道具や、夢中になって描いていた漫画をカンカンの中にとっておいてくれたのだと感じます。

叔母さんはカンカンの中に蒼太の夢をとっておいてくれました。

ここで、現実を求める両親と、夢をとっておいてくる叔母さんとの対比が窺えます。

それで、蒼太は平坦な道を行くことになったのは、失敗が怖かったからだと

気づきます。

蒼太はいつの間にか、平坦な道を行き、自分を見失ったと振り返ります。

自分を見失ったとは、夢を見失ったことだと取れます。

蒼太は「また見つけられるだろうか?真剣に打ち込める何かを」と自問自答します。

少年時代の蒼太は漫画を追いかけていました。

現在の蒼太は、真剣に打ち込める何かを見つけようと自問自答しますが、それは必ずしも漫画だとは言っていません。

この作品上では「真剣に打ち込める何か」と表現されています。

しかし、僕個人としては、それが漫画でなくても、世界がビビッドに見える現在だからこそ真剣に打ち込める何かがきっとあると感じました。

夢を見つけることは、自分を見つけることと言い換えられます。

蒼太は夢を見失って自分を見失っていました。

しかし、叔母さんの家で夢を見つけ、自分を見つけました。

蒼太は「結局、真っ直ぐに突っ走るのが一番の近道なのだから」と道を変える決意をします。

この部分は、冒頭の「最短のルートを行くのが日常」という表現と呼応します。

余談ですが老子は、万物を生み出すものを道と表現しました。

僕は、蒼太が決意した真っ直ぐ行く道は、万物を生み出す道だと確信します。

真っ直ぐ行く道は、冒頭に書かれたようにきっと坂道だと思います。

それでも、蒼太は最後に少年時代のように失敗を恐れずに夢を追いかける道を選んだのだと読めます。

蒼太にとって、この夏に道が変わったのです。

 

②「この夏に道が変わる」の対立軸

「この夏に道が変わる」の対立軸を探ります。

まず一番大きい対立は、真っ直ぐ行く道と逸れた道です。

続いて、夢と現実です。

そこから派生する形で、少年時代と現代、叔母と両親、漫画と勉強などが挙げられます。

隠された対立として、日頃のどうしようもないことと熱いバトルという対立もあります。

この作品は冒頭で「道は何通りかある」と表現されるように、

言わば天秤がどちらを差すか、つまりどの道を行くかは、いくつも答えがあると暗示します。

この作品は、そのちょうど逸れた道から真っ直ぐ行く道に変わる瞬間を切り取った作品と考えられます。

それは、言わば天秤の針が左から右へ、あるいは右から左へと転換したことを意味します。

つまり、心の中の葛藤に、答えを見つけた瞬間を意味します。

心の中の葛藤に答えを見つけるとは、何通りもある道から一本の道を探り出すことです。

ですので、この作品では、じゃぁ蒼太にとって何が大事だったのかということを「こういうときに、あの人は打ってつけだから」と、叔母の元へ探しに行ったことになります。

実際、自分にとって何が大事なのかを見つけるのは簡単ではありません。

特に、中学生となり、世界がビビットに見えてくると、何もかも大事に見えるし、何もかもが大事じゃないようにも見えます。

本当に「道は何通りもある」わけです。

そこで、蒼太にとっての好みがどういうことなのかと考える上で参考になるのが、

少年時代に読んでいて、途中で飽きてしまった漫画です。

蒼太はその漫画が途中から熱いバトルを描くようになったので、飽きてしまいました。

本当は、蒼太は日頃のどうしようもないことを読みたかったようです。

少年時代の蒼太はもしかしたら、日頃のどうしようもないことを漫画に描きたかったのかもしれません。

現代の蒼太はもう漫画を目指すことはないのかもしれませんが、

蒼太が漫画でないことを目指すとしても、おそらく熱いバトルではなく、日頃のどうしようもないことを目指すのだと思います。

 

③「この夏に道が変わる」の結末が意味すること

この作品は夢が重要な言葉となってきます。

誰かが「この世界は、現実が夢で、夢が現実だ」と言っていました。

蒼太が中学生になり、現実が見えてくると、徐々に夢を見失っていきます。

しかし、その誰かの言う通り、現実に見えることは、本当は夢であり、

夢に見えることが、本当は現実です。

蒼太はこの夏に道が変わりました。

ここで意味する夏とは文字通りの季節の夏という意味も含みますし、

中学生という、人生においての夏という意味も含むように思います。

結末では「何通りもある道」、つまり「何通りもある生き方」に答えを出します。

それはきっと真っ直ぐな生き方を目指すことであり、平坦でない生き方を目指すことです。

蒼太にとっては、叔母さんとカンカンにしまってあった漫画の道具が、蒼太の道を決定づけてくれました。

この先、蒼太はまた道に迷うことがあるかもしれませんが、その時は

やはり叔母さんとカンカンにしまってあった漫画の道具が、蒼太の道を決定づけてくれる気がします。

作品を読み終えて、蒼太にとっての叔母さんとカンカンにしまってあった漫画の道具は、僕にとっては何にあたるだろうと考えてしまいました。

僕はこの作品から、真っ直ぐに道を行くことを学んだのですが、

実際にその道を歩み始めることが大事だと感じました。

 

 

最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

 

おまけ:検討図

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過去の考察はこちら。

kotobanokoto.hatenablog.com

「超・妄想コンテスト テーマ:お掃除」大賞  雲灯(くもあかり)さんの「プールサイドのブルー」の考察

みなさんこんばんは。

 

今回は僕が小説を投稿しているエブリスタの

「三行から参加できる超・妄想コンテスト テーマ:お掃除」

で大賞を取られた、

 

雲灯(くもあかり)さんの

「プールサイドのブルー」について考察します。

 

短いお話ですので、

是非ご一読されると、より考察を楽しめることと思います。

 

estar.jp

 

※以下、ネタバレも含みますし、何より僕の個人的な考察となることをご了承ください。

 

①「プールサイドのブルー」をどう読むか?

 一見、掃除ロボットが出てきて、どうやらその掃除ロボット目線でユニークな芝刈りロボットとの関わり、ひいては人類の行く末(ラストにはロボットの行く末も)を描いた作品に見えます。

それで、読んだ後に心に残るものがあります。

今回のコンテストのテーマは「お掃除」だったのですが、

この話は、主役とも取れる掃除ロボットのブルーがお掃除ロボットという設定になっているものの、掃除じゃないことがテーマになっていそうだと読むことができます。

じゃぁ、一体どんなテーマになっているのかというところが、この話の深いところだと思います。

このテーマに関する話は後に譲るとして、まずこの話をどう読むかというところで気になるのは、ブルーがどうやらずっとロボットらしいロボットを演じているというところです。

つまり、どういうことかというと、ブルー以外にもロボットが出てくるのですが、

彼らブルー以外のロボットは、ロボットらしいロボットではないということです。

この部分がこの話のテーマの鍵になると僕は考えます。

一方、この話には人間が出てきます。しかし、この話の人間は近いようで私たちとは遠い人間に見えます。

確かに、愚かさという点では私たちと非常に近いものとして描かれます。

ところが、彼ら人間は私たちと違って葛藤を持っていません。

同じようにブルーもロボットなので葛藤を持っていません。

では、葛藤を持っているのは誰かというと、それは芝刈りロボットのグラスです。

グラスだけ(お料理ロボットのクックはあくまでグラスのコピーであり、話に説得力を持たせる役割に見えます)が、葛藤を持っています。

この話のテーマは、そのグラスの持つ葛藤です。

言ってしまえば、この話のテーマを背負っているのは、グラスです。

ブルーはロボットに徹していることもあり、テーマを背負っているグラスを映すカメラになっています。

ですから、もちろん人によって感想は違いますが、私たちの多くが感情移入するのはブルーでもなく、人間でもなく、グラスです。

ところで、この話はロボットたちが、ご主人様よりあらゆる判断が出来るようになる「自律回路」を与えられたところから始まります。

この「自律回路」が考察上の問題になります。

私たちは普通はいわゆるロボットというのは自立していないロボットを想像します。

しかし、この話では自律回路を得て、ブルーは今まで通り掃除をする一方、グラスはロボットの境界線を越えていきます。

この話の中ではロボットは、「①与えられた仕事をするもの」であり、「②感情のないもの」として描かれます。

ロボットの境界線を越えるとは、「①与えられた仕事をするもの」であり、「②感情のないもの」の境界線を越えることです。

この話の中では、例えば「自己拡張する」とか「人間になる」とか「変容する」などのように、ロボットの境界線を越えることが様々な言葉で表現されます。

では、グラスが自己拡張し、人間になり、変容するというのはどういうことかといえば、それは、自分のために働くということです。

グラスは使用者のために働く存在から自分のために働く存在になります。

そうすると、この話のテーマが浮き彫りになります。

この話のテーマは、私たちは誰のために働くのか?です。

私たちの多くは、使用者の元で働く労働者です。

会社を見れば社長の元で働く労働者であり、社会を見れば一部の人間の元で働く労働者です。

ですから、私たちの多くがこの話のロボットです。

そして、社長であり一部の人間がこの話の人間です。

冒頭で、この話の人間を近いようで私たちとは遠い人間と書いたのは、この話のロボットが労働者であり、この話の人間が使用者だからです。

それで、私たち労働者の、私たちは誰のために働くのか?という問題がこの話のテーマです。

グラスは自律回路を得て、労働者と使用者の境界線を越えました。

自己拡張することであり、人間になることであり、変容することは労働者と使用者の境界線を越えるということです。

ですから、この話はロボットが人間になるというモチーフの中で、私たち労働者が使用者になることを描いた物語です。

だからこそ、私たちの多くは労働者の境界線を越えるグラスに感情移入します。

 

②「プールサイドのブルー」の対立軸

「プールサイドのブルー」の対立軸を探ります。

一番大きな対立軸は、ロボットと人間です。

続いて労働者と使用者です。

そこから派生する形で、様々な対立軸が生まれます。

前者を代表するのがブルーです。

後者を代表するのが人間です。

そしてさらに対立するのが、誰かのために働くことと、自分のために働くことです。

また隠れた形で対立するのが、感情のないことと、感情のあることです。

さらに隠れた形で対立するのが、変わらないことと、変わることです。

そして最後に、不自由と自由です。

グラスはそれらの対立の間に存在します。

グラスはまさに白と黒の境界線を越える灰色の存在です。

この話の中では完全なロボットであるブルーが一貫して感情がないのに対し、

グラスは灰色の存在だからこそ、徐々に感情を持つようになります。

グラスは、ラストで「ブルーこそがロボットの完成形だった」と境界線を越えたことを後悔します。

つまり、使用者のために働くことが良いと後悔したわけです。

グラスは境界線を越えたからこそ感情を露わにしました。

しかし、その感情はブルーと対立するものでした。

グラスの立ち位置である白でも黒でもない、灰色の存在は名作によく現れます。

例えば、「寄生獣」のシンイチは人間と寄生獣の間であり、灰色の存在です。

そして、「ゲゲゲの鬼太郎」の影の主役であるねずみ男は妖怪と人間の間であり、やはり灰色の存在です。

ドラゴンボール」のミスターサタンもヒーローと凡人の間であり、灰色の存在です。

灰色の存在は白と黒の間で葛藤します。

ですから、僕たちは灰色の存在を通して葛藤の答えを見つけます。

「プールサイドのブルー」では、その葛藤の答えを提示するがグラスでした。

 

③「プールサイドのブルー」の結末の意味すること

グラスはラストで「俺たちの仕事はすべて、人間たちに捧げるべきだった」と呻きます。

そして、自壊するという結末を迎えます。

しかし、この結末は共感する人から、反対の感情を持つ人まで様々にいると思います。

なぜなら、それは各人が対立の労働者側に共感するか、使用者側に共感するか、それぞれ立場が違うからです。

この話では、ブルーが寿命を全うし、グラスは自壊しました。

ですから、それぞれ立場が違うのだから、変わった話にはなりますが、この話は反対にブルーが自壊し、グラスが寿命を全うする話にもなり得たということです。

どちらの結末になるかはちょうど天秤の針がどちらを差すかという問題です。

私たちは単純に白と黒には分けられません。

言うなればグラスと同じ、灰色です。

私たちは誰のために働くのか?という問題に対し、

労働者から使用者まで様々な立場があります。

グラスは自壊するという結末を迎えました。

しかし、自分はブルーのように使用者のために働くのか?

それともグラスのように自分のために働くのか?

私たちは誰のために働くのか?というという問題の答えは、各人が考えることだと思います。

グラスは私たちに単純ではない問題を投げかけます。

ちなみに僕は、冒頭に書いたように読んだ後に心に残るものがありました。

それは、少しだけ危険だと分かっていてもグラスのように自分のために働きたいと考えるからです。

 

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

 

おまけ:検討図(字が汚くてすみません)

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僕はやっぱり図書館が好きなんだなぁ

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みなさんおはようございます。

 

今回は図書館に関する気付きを書きます。

 

僕は図書館が好きでよく行きます。

 

昨日も図書館に行ったのですが、

 

図書館は本当に快適です。

 

古くからある図書館は、

 

古くからある図書館なりの。

 

新しく出来た図書館は、

 

新しい出来た図書館なりの

 

心地よさがあります。

 

あと、創作をする人にとっては、

 

図書館は最強の仕事場だと思います。

 

気になったらすぐに資料を見ることも出来るし、

 

自分が知らない分野の資料を見ることも出来るし。

 

もし、僕がリタイアすることが出来たら、

 

毎日図書館に通うと思います。

 

図書館はとにかく読みたい本だらけです。

 

あと何年生きるか分かりませんが、

 

図書館に行くためにリタイアを目指しても

 

良いと思います。

 

それぐらい図書館が好きです。

 

それで、

 

今はコロナで利用時間の制限があるのが、

 

とても寂しいです。

 

だけど、閉鎖にならず、利用できるだけ良かったなぁと思いました。

 

僕はやっぱり図書館が好きなんだなぁということに気付きました。

 

ありがとうございます。

 

明読斎

 

 

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