言葉の問題

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【質問に答える】どうすれば運勢が爆発するのか?

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みなさんおはようございます^^

 

様々な本などから質問を見つけて、

 

場合によっては質問を変えて答える、

 

【質問に答える】という企画をやっています。

 

今日はYoutubeで見つけた運勢についての質問です。

 

 

・質問 どうすれば運勢が爆発するのか?

 

・答え 小さな喜びが増えれば運勢が爆発します。

 

小さな喜びが増えれば運勢が爆発します。

 

運勢は、どれだけ小さなことに喜べるのかということだと思います。

 

笑う門には福来る。

 

喜んでいる人のところに喜びが来る。

 

など、喜ぶことが運勢を爆発させる一番の源になると考えます。

 

社会には、有刺鉄線のように、

 

乗り越えるとズキッと痛みを感じることが巧妙に張り巡らされています。

 

しかし、私たちは、例えば道に咲く花に喜んだり、

 

空の色の微妙な違いに喜んだりなど、

 

本来どんな小さなことにも喜びを見つけられます。

  

このように小さなことに喜びを見つけると、喜びが爆発します。

 

だから、運勢を爆発させる源は、大きな喜びではなく小さな喜びです。

 

僕は今日もいつも通り幸せです。

 

小さな喜びが増えれば運勢は爆発します。

 

いつもお星⭐️をくださってありがとうございます。

【質問に答える】幸運はどうすればもたらされるのか?

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みなさんおはようございます^^

 

様々な本などから質問を見つけて、

 

場合によっては質問を変えて答える、

 

【質問に答える】という企画をやっています。

 

今日はYoutubeで見つけた幸運についての質問です。

 

 

・質問 幸運は、どうすればもたらされるのか?

・答え 幸運は、1円玉を拾う幸運に気づくともたらされます

 

幸運は、1円玉を拾う幸運に気づくともたらされます。

 

幸運をツイているという言葉に置き換えて、

 

物事をツイていることと、ツイていないことに分けます。

 

すると、ツイていないことは、そんなに頻繁には起きていないことに気づきます。

 

逆にツイていることは、実は意外と頻繁に起きていることに気づきます。

 

イヤイヤ、ツイていることなんて頻繁には起きないよって思う方もいらっしゃると思います。

 

しかし、私たちはどこに幸せを感じるのでしょうか。

 

6億円の宝くじに当たる幸運は、心が満たされる幸運です。

 

一方、1円玉を拾う幸運は心が満たされる幸運ではない、本当の幸運です。

 

なぜなら、1円玉を拾う幸運は、

 

無からお金がやってくることだからです。

 

宝くじは無からはお金はやってきません。

 

6億円に当たる前にお金を払います。

 

6億円の宝くじに当たる幸運は、

 

無からではなく、有からお金がやってくるので、

 

仮に6億円が当たっても、

 

それは幸運ではなく、

 

お買い物です。

 

1円玉を拾う幸運は心が満たされる幸運ではない、本当の幸運です。

 

有ることと無いことの、その2つの幸運の違いに気づけば、

 

1円玉を拾う幸運は、6億円の宝くじに当たる幸運よりも幸運だと気づきます。

 

幸運は、

 

6億円の宝くじに当たる幸運ではなく、

 

1円玉を拾う幸運に気づくともたらされます。

 

いつもお星をくださってありがとうございます。

【質問に答える】私たちはどうして集団を必要とするのか?

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みなさんおはようございます^^

 

様々な本から質問を見つけて、

 

場合によっては質問を変えて答える、

 

【質問に答える】という企画をやっています。

 

今日は、白取春彦さんの「人生の大きな疑問に答える哲学の本」から派生した質問です。

・ 質問 私たちはどうして集団を必要とするのか?

 

・答え 私たちは死が怖いから集団を必要とします。

 

私たちは死が怖いから集団を必要とします。

 

私たちは個人を優先させず、集団を優先させるあまり、

 

心に問題を抱えることがあります。

 

私を含めた心の問題を抱える方は、

 

個人と集団との関わり方に葛藤があるように思います。

 

もし、私たちが死を怖くなくなれば、

 

集団は必要ありません。

 

だから、心の問題も解決します。

 

もし、私たちが死を怖くなくなったときは、

 

私たちは集団を必要とする今までの生活様式を捨て、

 

個人で生きる新しい生活様式を手にします。

 

そのときは、75.3億人が全員集団ではなく個人で生きる総個人の時代です。

 

しかしながら、死は集団ではなく、個人の問題なので、

 

個人が死を乗り越えるかどうかは、

 

集団ではなく、個人が挑戦することです。

 

私たちは死が怖いから集団を必要とします。

【質問に答える】世の中で言う、良いと悪いはどこで決まるのか?

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みなさんおはようございます^^

 

様々な本から質問を見つけて、

 

場合によっては質問を変えて答える、

 

【質問に答える】という企画をやっています。

 

今日は、白取春彦さんの「人生の大きな疑問に答える哲学の本」からの質問です。

・ 質問 世の中で言う、良いと悪いはどこで決まるのか?

 

・答え 世の中で言う、良いと悪いは、個人より集団を優先するかどうかで決まると考えます。

 

世の中で言う、良いと悪いは個人より集団を優先するかどうかで決まると考えます。

 

世の中で言う悪いことの代表的なものに殺人があります。

 

ここで、世の中に対するものとして、個人を挙げます。

 

世の中としては、殺人は悪いことです。

 

もちろん個人としても、殺人は悪いことです。

 

ですが、殺人はどんなところでも起きます。

 

私たちは善と悪の価値観が変わり、

 

個人の中で殺人が正当化されて、殺人に至ってしまいます。

 

しかし、個人がいくら正当化しようが殺人は世の中としては悪いことです。

 

そのように考えると、個人で言う悪いことと、世の中で言う悪いことは、

 

ちょっとだけずれがあることが分かります。

 

そのずれが何かと言えば、

 

私は個人より集団を優先するかどうかだと考えます。

 

集団より個人を優先する場合は、

 

例え個人としては良いことだとしても、

 

集団としては悪いことだとされます。

 

逆に、個人より集団を優先する場合は、

 

個人としては悪いことだとしても、

 

集団としては良いことだとされます。

 

世の中で言う、良いと悪いは個人より集団を優先するかどうかで決まると考えます。

 

ちなみに、本の答えは、善が欠けていないかかどうかでした。

 

※※本文を短くしました。

 

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