みなさんこんにちは。
今回は「統合失調症と引き寄せの法則 ~人生の荒波に乗る方法~」第6回を
お届けします。
前回、寓話を用いて、
影を消そうとしたら、自分が影そのものになってしまったうさぎの話をしました。
今回は、このうさぎの問題について書いていきます。
まず、一番大事なことは、
うさぎが影を「怖い」と思ったことです。
これは幼稚園児の僕がお化け屋敷を「怖い」と思ったのと同じです。
どちらもふいに怖いものが目に入ったというところが同じです。
そして、次にどちらもその「怖いもの」を消そうとしました。
そして、結果的にどちらも「望まない現実」を引き寄せてしまいました。
うさぎは一体どうすれば良かったのかという問題を考えながら、
最終的に、幼稚園児の僕は一体どうすれば良かったのかという問題を
考えていきたいと思います。
さて、うさぎは一体どうすれば良かったのでしょうか?
それを考えるにあたり、
影を消そうとする行為について考えてみたいと思います。
影というのは暗喩です。
僕たちは劣等感や、欠点、不足していると思うもの、心配、不安、恐怖など
ネガティブなものを多く持っています。
影とはそういうネガティブなものの暗喩です。
そういうネガティブなものは、常に僕たちの行動の動機となり、僕たちはほとんど本能的にそういうネガティブなものを消そうと努力します。
そういうものを消そうと努力することを非難しているわけではありません。
そういうものを消そうと努力することは素晴らしいことだと思います。
しかし、ここで一旦影の生まれる原理について考えてみます。
影は光のあるところに生まれます。
光無しに影が生まれることはありません。
そうすると、影は光のもう一つの側面だと言うことができます。
影は、言わば映写機でスクリーンに投影した映画のようなものです。
ですから、先程挙げた劣等感や、欠点、不足していると思うもの、心配、不安、恐怖なども
映写機でスクリーンに投影した映画のようなものだということです。
要するに、影は実態でないということです。
それでは、実態は何でしょうか?
実態は光でしょうか?
光は確かに影を作り出しますが、実態ではありません。
では、実態は何でしょうか?
実態はうさぎ自身です。
うさぎ自身は映画で言えば、フィルムに当たります。
影はうさぎの投影です。
しかし、それはあまりにもその通りだと言わざるをえません。
「うさぎの影は実態であるうさぎ自身の投影だ」と言っているようなものです。
ですが、ここを厳密に考えてみます。
「うさぎの影は実態であるうさぎ自身の投影だ」ということは、
「うさぎの劣等感や、欠点、不足していると思うもの、心配、不安、恐怖などは実態であるうさぎ自身の投影だ」ということになります。
うさぎが「怖い」と思って消そうとした影は、実はうさぎ自身の投影だったということです。
ここで少し寓話に戻ります。
寓話では、うさぎが影を消そうとしたら、うさぎ自身が影そのものになってしまいました。
「うさぎ自身が影そのものになってしまった」というのは
「うさぎ自身が実態でなくなってしまった」ということです。
うさぎが影を消そうとしたら、うさぎ自身が実態でなくなってしまった。
要するに、うさぎ自身が「望まない現実」となってしまったということです。
詳細は後述しますが、
実はこれは引き寄せの法則そのものと言えます。
ここで、うさぎは一体どうすれば良かったのかという問題の答えが少しずつ見えてきました。
うさぎはふいに目に入った影を「怖い」と思い、影に焦点を合わせてその影を消そうとしました。
その結果、うさぎ自身が「望まない現実」になってしまいました。
さて、うさぎは一体どうすれば良かったのかと言えば、
うさぎは不意に目に入った「望まない現実」に焦点を合わせてその「望まない現実」を消そうとしたのですから、
うさぎは影という「望まない現実」が不意に目に入っても、その影という「望まない現実」に焦点を合わせなければ良かったのです。
つまり、逆に言えば、うさぎは影という「望まない現実」が不意に目に入っても、光という「望む現実」に焦点を合わせれば良かったのです。
なぜなら、うさぎ自身が影を作り出す実態だからです。
「望まない現実」は実態ではありません。
「望まない現実」はうさぎの影です。
長くなったので今回はここまでにします。
次回は、引き寄せの法則についてもう少し掘り下げていきます。
長文におつきあいくださりありがとうございました。