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統合失調症と引き寄せの法則⑤ 〜人生の荒波に乗る方法〜

みなさんこんにちは。

 

「統合失調症と引き寄せの法則 〜人生の荒波に乗る方法〜」も第5回となりました。

 

前回は最後に2つ程、問題提起をしました。

 

1つ目は、

 

『最初に「影の望み」が叶わないと「光の望み」が叶わないとは、

 

どういうことか?』です。

 

2つ目は、

 

『そもそも「お化け屋敷が遊園地から消えること」、

 

言わば「影の望み」を叶えることは、

 

幼稚園児の僕が「望む現実」だったのか?』です。

 

それぞれの問題について考えつつ、

 

「光の望み」と「影の望み」について書いていきたいと思います。

 

まず、1つ目の問題に入る前に、

 

2つ目の問題から考えていきたいと思います。

 

『そもそも「お化け屋敷が遊園地から消えること」、

 

言わば「影の望み」を叶えることは、

 

幼稚園児の僕が「望む現実」だったのか?』

 

・・・幼稚園児の僕が「望む現実」は、

 

お化け屋敷を見ることなく、遠足の時間いっぱいソリ遊びをすることです。

 

では、「影の望み」とは一体何なのでしょうか。

 

「影の望み」とは、どうやら、「望まない現実」を消してしまうこと

 

のようです。

 

幼稚園児の僕は、お化け屋敷という「望まない現実」がふいに目に入ってしまった。

 

そのため、その「望まない現実」を消してしまう。

 

そうすると、「望む現実」が現れる。

 

そのような思考を辿っている気がします。

 

だからこそ、幼稚園児の僕は泣き叫んで、お化け屋敷が遊園地から消えることを

 

望んだのです。

 

しかし、どうも「影の望み」は「望む現実」とは違うようです。

 

なぜなら「影の望み」は「望まない現実」を消そうとする望みだからです。

 

「望む現実」を叶えようとする望みとは違います。

 

「影の望み」は、焦点が「望む現実」には向いていません。

 

焦点が「望まない現実」に向いています。

 

それでは1つ目の問題に戻ります。

 

『最初に「影の望み」が叶わないと「光の望み」が叶わないとは

 

どういうことか?』

 

・・・まず、考えたいのが「光の望み」とは何かです。

 

これは先ほど書いた文章の中に答えがあります。

 

「光の望み」とは、「望む現実」を叶えようとする望みです。

 

ですから、問題をこねくりまわすと、

 

『最初に「望まない現実」を消そうとする望みが叶わないと

 

「望む現実」を叶えようとする望みはが叶わないとはどういうことか?』

 

という問題になります。

 

要するに、

 

「最初に望まない現実が消えなければ、望む現実は叶わないのか?」と言ってるのです。

 

この命題はとても重要です。

 

最初に望まない現実が消えなければ、望む現実は叶わない。

 

幼稚園児の僕は少なくともそう思っていたのです。

 

問題をひっくり返すと、

 

「望む現実は、最初に望まない現実が消えなければ、叶うことはないのか?」

 

となります。

 

ところで、ここで一旦問題を離れます。

 

太陽が作り出す光と影の話に切り替えます。

 

では、一つ寓話を考えてみます。

 

一羽のうさぎがある日、

 

自分に影がついていることに気付きました。

 

今までそんなことには気付かなかったのですが、

 

何かの拍子に、自分に影が付いていることに気づいてしまったのです。

 

自分の影が怖くなったうさぎは、

 

影をたたいたり噛みついたりして必死で影を消そうとします。

 

しかし、影は一向に消える気配はありません。

 

だんだん疲れてきたうさぎは驚きました。

 

なんと、影が自分の足元から上ってきたのです。

 

うさぎは影が自分の一部になったことに慌てました。

 

うさぎは必死に影を消そうとしましたが、

 

影を消そうとすればするほど、影はうさぎの足元を上ってきます。

 

うさぎは必死に影に抵抗しました。

 

しかし、うさぎはとうとう影そのものになってしまいました。

 

僕が考えた寓話ですが、

 

実はこの寓話は、幼稚園児の僕の話と

 

様々な点で似ています。

 

さて、うさぎは一体どうすれば良かったのでしょうか?

 

今回はここまでにします。

 

次回はこのうさぎの問題について書いていきます。

 

長文にお付き合いくださりありがとうございました。

 

 

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