言葉の問題

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あなたが生きづらい理由 〜未来を考える日本の問題〜

みなさんこんにちは。

 

前々回、「最近、日本がおかしな方向に進んでいると感じることはありませんか?」

 

と言う文章で記事を書き始めました。

 

これが以外にも反響がありました。

 

おそらく皆さん、最近の日本について問題を感じられるのかなと思いました。

 

それで、この日本の問題について書いていきたいと思います。

 

「最近、日本がおかしな方向に進んでいる」というからには、

 

裏を返せば

 

「どうすれば日本が正しい方向に進むのか」という問題になります。

 

ここで、実に難しい問題が現れてきます。

 

それは

 

「何が問題」で、

 

「何が正しい」のかということです。

 

このことを考えてみると、

 

今の日本は、何やらぼんやりと問題なんだけど、

 

「何が問題」かと考えると、

 

問題がたくさんありすぎるようで、「これが問題」だと挙げるのが

 

難しく感じてしまいます。

 

ただ、「問題」が無いということは少なくとも無さそうです。

 

じゃぁ、今の日本の一体何が問題なのか?

 

ということについては、

 

色々な見解があると思いますので、ひとまず置いておきます。

 

それよりも僕は「どのような日本が正しい日本なのか?」

 

ということについて考えてみたいと思います。

 

「どのような日本が正しい日本なのか?」ということについて考えると

 

少なくとも僕はおかしいと思うことがたくさん見えてきます。

 

・真面目に働いても幸せになれない

 

・不真面目な方法をしてる人が幸せそうにしている

 

・倫理(主に金銭的なモラル)が崩壊している

 

・子どもたちに対して幸せな未来を残せそうにない

 

・未婚の増加(僕もです)

 

などなど、色々おかしいと感じることがあります。

 

少なくともこれらのことが逆の状態になることは

 

僕は正しい日本の在り方だと感じます。

 

本当はもっとあるのですが、

 

とりあえずここまでにしておきます。

 

今後も引き続きこのテーマについて書いてみたいと思います。

 

長文におつきあいくださりありがとうございました。

 

 

あなたが生きづらい理由 〜世界を歪める眼鏡を外す 〜

みなさんこんにちは。

 

前回は、僕たちは成長する過程で

 

義務教育や、親や、所属する集団から「何らの矯正」が働き、

 

それがまるで世界を歪める眼鏡のような状態になってると書きました。

 

それで、あなたが生きづらい理由はこの「何らかの矯正」にあります。

 

ですから、世界を歪めるその眼鏡を

 

外せばいいのですが、それがなかなか大変な作業です。

 

というのも、僕たちはあまりにもその眼鏡に慣れてしまっているため、

 

それが「正常」だと考えているからです。

 

「何らかの矯正」が働いていることを「正常」だと考えていると、

 

その「何らかの矯正」をやめることは「異常」に

 

見えてしまいます。

 

ただでさえ日本は人と違うことをする人を白い目で見たり、

 

同じ眼鏡をかけている状態を求める同調圧力が強い国です。

 

ここで社会のことについて書きますが、

 

社会というのは皆で乗って、荒波を乗り越えていこうとする船のようなものです。

 

この船を維持するには、どうしても皆が同じ眼鏡を掛けている必要がある 

 

というわけです。

 

なぜなら、みんなが別々の眼鏡を掛けていると、

 

船を維持できず、荒波を乗り越えていくことができない(ということになっている)からです。

 

それで、近頃、日本がおかしな方向に進んでいるというのは、

 

この船がおかしな方向に進んでいっているとも言う事ができます。

 

そもそもこの船はどこに進んでいるのか。

 

それは僕たちの預かり知らぬところですが、

 

僕たちが世界を歪める眼鏡を外すということは、

 

この船を降りるということを意味します。

 

それは、

 

世界を歪める眼鏡を外し、

 

僕たちの素の目で世界を見て、

 

僕たち自身の船で荒波に漕ぎ出すということでもあります。

 

眼鏡と例えましたが、

 

眼鏡は「観念」とか「価値観」の例えです。

 

ですから、僕たちが仮に世界を歪める眼鏡を外したとしても、

 

この社会から爪弾きにされるわけではありません。

 

ただ単に、皆が持っている「観念」や「価値観」とは別の

 

「観念」や「価値観」を持つということを意味するだけです。

 

僕は、15年前は週5で会社勤めをしていました。

 

会社勤めをする中でだんだんと残業時間が増えていき、深夜タクシーで帰宅して、会社までとんぼ返りするようになりました。

 

そして、少しでも睡眠時間を確保するために、自腹で新幹線通勤をするという生活をするようになりました。

 

しかし、それでも睡眠時間はどんどん削られていき、

 

その挙げ句、僕は精神疾患を発症しました。

 

今僕は、自分でおにぎりと麦茶を作って大好きな図書館に週5で通っています。

 

大好きな図書館で大好きな本に囲まれて、好きな時間クリエイティブな作業をしています。

 

今の僕のような生活というのは15年前の僕からすると

 

週5で図書館で作業をしているのですから、

 

「おかしい」としか思えないと思います。

 

しかし、本当に「おかしい」のは15年の前の僕でしょうか、それとも今の僕でしょうか。

 

この二つの価値観の違いこそ、

 

あなたがどのような価値観を持っているかを見つける、たたき台みたいなものです。

 

あなたがどのような価値観を持っているかというのは、

 

あなたがどのような眼鏡を掛けているかということを意味します。

 

15年前の僕と今の僕のどちらを「おかしい」と感じるのか。

 

それに気づいたら、あなたは自分の船で荒波に漕ぎ出す第一歩を踏み出したということです。

あなたが生きづらい理由 〜眼鏡を外したら見える世界〜

みなさんこんにちは。

 

今回は「あなたが生きづらい理由」というテーマで書いていきます。

 

最近、日本がおかしな方向に進んでいると感じることはありませんか?

 

僕はよく感じます。

 

何年か前から徐々におかしな方向に進んでいき、今年に入り勢いを増して

 

いってるように感じます。

 

それで、この記事を読んでいるあなたは、

 

少なからず、この社会にどこか生きづらさを感じていると思います。

 

社会が悪いのか自分が悪いのかと悩むことも多いかと思います。

 

それで、この社会とは何かということについて書くと、

 

この社会は、みんなが「社会ってこういうものだよね」という

 

幻想をお互いに同意しているルールに過ぎません。

 

社会は、言わば思考の中に存在するものです。

 

お互いに思考の中に共通の「社会」という幻想を持っているということです。

 

特に日本ではこの幻想が強いです。

 

日本は「村社会」と言われるように、

 

群れることを良しとする傾向が強いため、

 

この幻想からはみ出すことを極端に嫌います。

 

これは例えて言うなら、

 

皆が同じ色の眼鏡をかけている状態だと言えます。

 

そんな眼鏡なんてかけてないよ!

 

と言われる方もいるかもしれませんが、

 

僕たちは義務教育を受けており、

 

小さな頃から集団生活を学びます。

 

義務教育や、親や、所属する様々な集団などを通して、

 

この世界を見る目が徐々に矯正されていき、その矯正が

 

まるで眼鏡をかけているような

 

状態を作り出しています。

 

眼鏡というからには、

 

この世界を素の目で見ているわけではありません。

 

そこには何らかの矯正が働いているということです。

 

この「何らかの矯正」というのが

 

あなたが生きづらい理由です。

 

ですから、この眼鏡を外していけばいいのですが、

 

それはなかなか大変な作業です。

 

次回から、この「矯正を外す」ということをテーマに書いていきたいと思います。

 

長文にお付き合いくださりありがとうございました。

統合失調症と引き寄せの法則 28  〜アイデアと閃き、意識の扉を開く方法〜

みなさんこんにちは。

 

今回は少し趣向を変えます。

 

今までは、エゴや意識について深堀りしてきましたが、

 

今回は、アイデアや閃きという観点から意識の扉について書いてみたいと思います。

 

何かをしているとき、

 

特に、散歩や風呂に入っているときなどに

 

突然アイデアや閃きが降りてくることがあると

 

思います。

 

一方、どうしてもアイデアや閃きが必要なときというのは、

 

うんうんと唸ったりしても一向にアイデアや閃きが

 

降りてこないときがあります。

 

リラックスしていると、アイデアや閃きが降りてきやすいというのは、よく言われることですが、

 

アイデアや閃きというのは、基本的に放っておいても降りてきます。

 

なぜなら、アイデアや閃きというのは元々、川の流れのように流れているからです。

 

リラックスしているときというのは、

 

アイデアの扉が開いている状態となります。

 

ですので、アイデアはいつでも自由に降りてくる事ができます。

 

しかし、アイデアを出そうとしてうんうん唸っているときというのは、

 

アイデアの扉に力を入れて閉じている状態となります。

 

ですので、アイデアはなかなか降りてくる事が出来ません。

 

アイデアの扉が開いているかどうかというのは、

 

意識の扉が開いているかどうかということと同じです。

 

あなたは意識の扉を司っています。

 

どういうことかというと、

 

あなたは、あなたの目の前に広がっている現実に対して、「心地いい」状態でいるかどうか、

 

を自分でコントロールすることができるということです。

 

あなたは今目の前に広がっている現実から「受け身的」に「心地よい感情」を抱くのではなく、

 

「主体的」に「心地よい感情」を抱くことができるということです。

 

ですから、あなたは今目の前に広がっている現実から「主体的」に「心地よい感情」を抱くことで、自ずとリラックスしている状態を作ることができ、

 

結果的にアイデアや閃きを自由に得ることが出来ます。

 

問題は、今目の前に「心地よくない」現実が広がっている場合です。

 

その場合はまず、意識をコントロールして一旦フラットにな気持ちにすると、

 

ギューッと閉まっていた意識の扉が開いていきます。

 

そして、結果的にアイデアや閃きが降りてきます。

 

大事なのは、アイデアや閃きというのは川の流れのように流れていて、

 

それが降りてこないときというのは、意識の扉を閉じて閉まっている状態で、

 

そんなときは、意識をコントロールして一旦フラットな気持ちにすると、意識の扉が開いて、元々流れていたアイデアや閃きが

 

自由に降りてくるということです。

 

今回は、意識の扉について少しだけ切り口を変えてみました。

 

長文にお付き合いくださりありがとうございます。

 

 

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