言葉の問題

作品を発信するブログ。

楽しんでますか?

恐れの中には愛が詰まっているという話

 

みなさんこんにちは。

 

今回は、恐れの中には愛が詰まっているという話をします。

 

僕たちの感情は

 

大きく分けると、

 

愛と恐れに分けられます。

 

それで、

 

ある特定の人が怖いという状況を

 

思い出して欲しいのですが、

 

そのある特定の人への恐れというのは、

 

実は僕たちの影です。

 

どういうことかというと、

 

僕たちの中にある恐れが

 

その、ある特定の人に

 

映り込んでいるということです。

 

それで、じゃぁ僕たちの中は恐れで一杯なのか?

 

と言えば

 

実はそんなことはありません。

 

恐れというのは、

 

愛があるからこそ生まれるのです。

 

愛がなければ恐れは生まれません。

 

ですから、恐れというのは愛の影なのです。

 

僕たちの中は

 

実は

 

愛で一杯なのです。

 

要するに、

 

僕たちは愛を恐れという殻で包んでしまっているのです。

 

それで、

 

その恐れをパカンと2つに割ってみると、

 

中から

 

瑞々しい愛が出てくるというわけです。

 

同じように、もし、

 

その、ある特定の人への恐れを

 

パカンと2つに割ってみると、

 

実は中から

 

その、ある特定の人への

 

瑞々しい愛が

 

出てくるというわけです。

 

まるで、卵の殻を割ると、

 

中から黄身と白身が出てくるような感じです。

 

恐れの中には愛が詰まっているという話でした。

 

長い話におつきあいいただき、ありがとうございました。

愛と恐れとドラクエと・・・。

 

みなさんこんにちは。

 

今回は、愛と恐れについて書きたいと思います。

 

ドラゴンクエストというゲームがあります。

 

そのドラゴンクエストでは、

 

主人公は初期装備として、

 

銅のつるぎ

 

 

旅人の服

 

を装備しています。

 

最初からこれら2つを持っているということです。

 

それで、

 

僕たちは、

 

初期装備として

 

 

 

恐れ

 

を持っています。

 

つきつめれば、

 

本当は愛だけを持っているのですが、

 

そのことはとりあえず置いておいて、

 

僕たちは生まれたとき

 

素っ裸の状態で生まれますが、

 

心の中に、愛と恐れを持っています。

 

ドラクエの主人公は

 

初期装備の、銅のつるぎと旅人の服を持って冒険に出かけます。

 

僕たちは

 

初期装備の、愛と恐れを持って冒険に出かけます。

 

ドラクエの主人公は

 

最後、最強装備を手に入れて

 

魔王に打ち勝つことになります。

 

僕たちも

 

最後、最強装備を手に入れて

 

僕たちの一番恐れているものに打ち勝つことになります。

 

それで、僕たちの最強装備は何かということですが、

 

僕たちの最強装備は愛です。

 

結局は愛で僕たちの一番恐れているものに打ち勝つことになります。

 

それで、僕たちの一番恐れているものは

 

大体の場合、僕たち自身です。

 

僕たち自身に打ち勝つとやはり愛が手に入ります。

 

ところが愛は初期装備で持っています。

 

ですから、

 

僕たちの一番恐れているものに打ち勝つと

 

ドラクエの主人公が最後自分は勇者だったのだと気づくように、

 

僕たちは最初から全て愛だったのだと気づくことになります。

 

それで、ドラクエにはエンディングがあります。

 

ドラクエのエンディングでは、

 

ドラクエを作ったスタッフの名前がスクロールします。

 

僕たちにも、

 

エンディングがあります。

 

僕たちのエンディングでは、

 

愛が世界中に広がります。

 

それはつまり、

 

愛によって恐れが滅んだということです。

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

言葉の問題「に」と「にも」の違いに関する考察

みなさんおはようございます。

 

今回は、

 

「太郎くんにあげた」

 

の「に」と

 

「太郎くんにもあげた」

 

の「にも」の違いに関して考察します。

 

「太郎くんにあげた」の場合、

 

あげたのは太郎くんにだけです。

 

暗に、

 

他には誰にもあげてないという意味を含みます。

 

一方、「太郎くんにもあげた」の場合、

 

あげたのは他にもいます。

 

暗に、

 

他の誰かにもあげたという意味を含みます。

 

ですから、

 

下の会話は噛み合わないということです。

 

先生「修学旅行のお土産、誰にあげたの?」

 

生徒A「太郎くんにもあげた」

 

 

「に」と「にも」を意図的にずらすと

 

このような会話になります。

 

目の前の宇宙人は握手を求めてきた。

通行人は恐る恐る宇宙人の手を眺めた。

通行人は生唾を飲み込んだ。

ゴクリ。

宇宙人「我々はあなたがたにも文明を授けようと思う」

通行人「にも?他にも文明を授けたいうことか」

宇宙人「いや、他には文明を授けていない。だから、あなたがたにもだ」

通行人「だから、他にも文明を授けたんだろ?他には誰に文明を授けたんだ?」

宇宙人「いや、だから、あなたがたにもだ」

通行人「ふざけんな!」

宇宙人「ふざけてない。我々はあなたがたにも幸せになって欲しいのだ」

通行人「意志の疎通が取れない。やっぱりこいつら宇宙人だ」

通行人はまた頭を抱えてしまいました。

 

ありがとうございました。

言葉の問題「は」と「が」の違いに関する考察

みなさんおはようございます。

 

このブログは当初、

 

言葉に関する考察を書くブログでした。

 

それで、原点に戻り

 

言葉に関する考察を書こうと思います。

 

「私はやりました。」

 

と言うときの

 

「は」と

 

「私がやりました。」

 

と言うときの

 

「が」

 

に注目します。

 

私はやりました。

 

とは、

 

裏に、

 

(他の人もやっているかもしれませんが、)

 

という意味を含みます。

 

もし、他の人はやっていないのであれば

 

私がやりました。

 

となります。

 

次のような会話を考えます。

 

先生「ガラスを割ったやつは誰だ?!」

 

生徒A「私はやりました」

 

これは噛み合わないとうことです。

 

先生「ガラスを割ったやつは誰だ?!」

 

生徒A「私がやりました」

 

これは噛み合います。

 

 

 

逆に、

 

生徒A「私はやりました」

 

に噛み合わせるには、

 

先生「お前がガラスを割ったのか?!」

 

生徒A「私はやりました」

 

こうなります。

 

そうなると、

 

問題なのは質問の方です。

 

先生「ガラスを割ったやつは誰だ?!」

→誰かを問う質問

 

先生「お前がガラスを割ったのか?!」

→「はい」か「いいえ」を問う質問

 

これらの質問と対になって

生徒A 私「が」やりましたか、

生徒A 私「は」やりました

が結びつくことになると考えられます。

 

これが逆になると噛み合わないということです。

 

例えば、こんな感じで。

 

通行人が夜道を歩いていると、

空からキラキラとした円盤が舞い降りた。

ハッチが開き、

銀色の人のような姿をした生物らしきものが歩み寄ってきた。

通行人「お前は宇宙人か?!」

→「はい」か「いいえ」を問う質問

謎A「私が宇宙人です」

 

こうなると噛み合わないので、謎Aさんは、

あたかも、

他にはいないけど私だけが宇宙人だと言っているように聞こえます。

 

謎Aさんが答えると、わらわらと、人が集まってきました。

こうなると通行人さんは、誰が地球人で誰が

宇宙人かわかりません。

通行人さんはたまらず言いました。

通行人「宇宙人は誰だ?!」

→誰かを問う質問

 

すると、謎Aさんがさらに答えました。

謎A「私は宇宙人です」

通行人さんは頭を抱えてしまいました。

「彼とは意志の疎通が出来ない。彼はまぎれもなく宇宙人だ・・・」

 

 

謎Aさんはものすごく自分が宇宙人だとアピールしているように感じます。

噛み合わない会話をすると、意志の疎通が難しいというお話でした。

 

 

ありがとうございました。

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