言葉の問題

作品を発信するブログ。

楽しんでますか?

変わっていく社会でどう生きるのか

みなさんこんばんは。

 

今回は真面目なお題目にしました。

 

「変わっていく社会でどう生きるのか」というお題目です。

 

社会が何か変わっていってる気がする。

 

そんな風に感じることがとても多くなって来ました。

 

僕は慣れ親しんだあの社会がまだ記憶に生々しく残っています。

 

しかし、社会はやっぱり少しずつ変わっていってると感じます。

 

それで、

 

慣れ親しんだあの社会はどんな社会だったのかと振り返ると、

 

僕が個人的に思うのは、

 

資本主義を何とか維持しようとする社会だったのかなと思います。

 

社会は資本主義で一応の成功を見て、

 

その方針で進んで行けと進んではみたものの、

 

資本主義を追求するとあちこちにほころびが出てくる。

 

環境問題、貧困問題、紛争問題などなど。

 

これらはそれぞれが別々の問題に見えますが、

 

実は別々の問題ではなく、

 

資本主義という一つの問題から発生した多くの症状に過ぎないと僕は考えます。

 

病気の元はそれぞれにあるのではなく、

 

資本主義そのものにあると僕は考えます。

 

それで、そのたった一つの考え方にしがみついているばっかりに、

 

とうとう、コロナというシャッフルが起きてしまいました。

 

もちろんコロナと資本主義に直接の因果関係があるとは思いません。

 

しかし、資本主義にしがみついてたあの社会はもう昔のものになりつつあります。

 

じゃぁ、コロナが起きた今、

 

病気の元みたいな資本主義にまたしがみついてしまうと、

 

様々な症状をなお一層悪化させるだけのような気がします。

 

資本主義にしがみつく理由は、

 

一つは、前みたいな成功を享受したいという思いと、

 

もう一つは、資本主義を手放すことに対する恐怖心があるような気がします。

 

資本主義を手放すと、得体の知れない恐怖がやってくる。

 

そういう、恐怖にかられているように思えます。

 

苦しくも、コロナがその恐怖を体現しているように僕には見えてしまいます。

 

得体の知れない恐怖がやってくる。

 

その気持ちは確かによく分かります。

 

今までやってきたことを変えるには勇気が必要です。

 

それがまがりなりにも一回は成功したのですから、

 

なおさら、その上に鎮座したい。

 

その気持ちもとてもよく分かります。

 

でも、そのお尻に敷いた座布団は、

 

少々古くないですか?

 

また同じ座布団に座って、お尻が痛くなりませんか?

 

もうそろそろ新しい座布団に取り替えてはどうですか?

 

というより、

 

そもそも座布団って本当に必要ですか?

 

僕は○○主義というのは座布団だと思います。

 

あまりに便利なので、手放せなくなった座布団です。

 

それが、いつの間にか座布団が主体の社会になってしまい、

 

座布団のためなら人の命すらも無くす社会になりました。

 

本当に大事なのは、座布団なんかではありません。

 

本当に大事なのは、もちろん人の命です。

 

座布団はそもそも何の為に必要だったのでしょうか?

 

もうそろそろ座布団無しで生きていってもいいんじゃないかと

 

僕は個人的には思いました。

 

いつもありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

プライバシーポリシー お問い合わせ