③勝敗の壁 前編
本:ここで、彼ら二人と毎日、半日くらいの時間を費やして、人間力復活計画をはじめたんだよね。
明:彼らは、自宅で病気療養中として、本さんはなにして生活してたんですか?
本:普通に会社員してたよ。僕はデスクワークだけでなくて、工場勤務もしてたことがあって、当時はちょうど工場勤務だったんで、夜勤明けに、朝の六時に彼らと集合して昼間で稽古するとかしてたよね。
明:そのローテの中で本読んだり、映画、観たりするんですか?
本:そこらへんは、それこそ病気みたいなものだからね。
当時がおそらく読書スピードのピークで、映画は観はじめて、これはダメだ、って感じると開始そうそうに自然に寝てた。
奥さんから、あんた、映画館へ寝にいってるの? とか言われてた。
家のテレビでレンタルを観てても、つまらないと寝落ちしてたよね。
明:そこまでして早朝から、なにをするんです。
本:彼らは、病気と薬の服用もあって運動不足になっていたりするからさ、もともとはそれぞれ中学、高校の運動部でレギュラーで、それなりの成績を残していたプチアスリートというか、アスリート予備軍なので、準備運動して、2~10キロくらいはランニングして、坂道ダッシュして、極真空手の基本稽古、移動稽古、型といったものを普通の道場稽古の2~5倍くらいの分量をこなして、後、試合用の稽古、ミットやスパーリングも2~3分、10ラウンドくらいして、途中で何度もへばって、腹筋、背筋みたいな補強も入れて、最後はフラフラになるまで毎日、やったよね。
明:そうなんですね。
本:根が運動好きな人たちだから、やれば真剣になるよね。
ウェイトの基本3種目、ベンチプレスは体重プラス100キロ、スクワットは体重プラス200キロ、デットリフトはプラス150キロを目指したよね。
ボディビルというより、パワーリフティング的なノリでやってた。ウェイトの後は、みんなでプロティンミルク飲んでたよ。
富士登山もした。一合目から頂上まで。寝不足で早朝から登る富士はキツかった。
これだけやって抗精神剤を飲めば、よく眠れるよね。
この時に僕が思ったのはね、寝不足でふらふらになってそれでも毎日、全力でぶっかると彼らもだんだん普通に戻ってくる、ってこと。
明:ムチャしますね。こんな生活して本さん自身のダメージはなかったんですか?
本:左肩が亜脱臼して、肉体的ストレスが原因で、メニエル氏症候群になって、突然、平衡感覚を失ったりした。実際は地震は起きてないのに、自分だけ大地震の中にいる揺れを感じるという。
明:そうなんですか。
本:うん。僕の個人的経験だと精神疾患の人って病気のせいもあって、疑い深かったりするじゃん。
でも、この稽古を経て、彼らとは信頼関係ができたと思ってるよ。この稽古を何年か続けたよね。
彼らそれぞれの主治医からは、どちらも反対されたけど、本人の意志と、実際、病状が回復していったからね。
明:何年もそんなことを。
本:うん。120キロの人は80キロくらいまで体重落ちたし、ベンチはみんな体重プラス50キロは普通にあがるようになったよ。
明:なにを目指してるんです?
本:精神疾患の回復と彼らの社会復帰。体力、運動機能がつくと人間、自信が生まれるし。
明:あと、本さん自身の鍛錬ですか?
本:前記した以外の僕の負担としては、この時期は、休息が足りなくて、擦り傷、切り傷の修復が追いつかなくて、そうしたケガをすると治らなかった。何日過ぎても、傷がふさがらなくて、カサブタができない。
結局、この練習を終了して彼らとまた距離をとるようになったのは、それぞれが一般の会社で普通に働けるまでに回復したからで。
明:もしかして、正社員で就職できたんですか?
本:うん。一人は、僕の知り合いのところに紹介してお願いして入社。一人は、昔やってた新聞配達の正社員になった。
明:ん? これで、めでたしめでたしじゃないんですよね。前章の人は交通事故で…
本:一時はこうして幻聴や死にたい病も収まって、普通に働ける社会人に戻っても、なかなかそれがずっとは続かないんだよね。
明:わかります。
本:家族も本人も安心したような状態で、それはまたやってくる。 精神疾患の再発というか、活発化するきっかけってなんなんだろう?
明:人それぞれケースは違うと思いますが、僕の場合だと根を詰めて考えることですかね。ただ、これは卵が先かひよこが先かという感じで、病気だから根を詰めて考えているという側面もあると思います。
本:僕は本人でなく、あくまでそれをはたで見ていた人間なんで、はたで見ていたものの意見としては、一見、治ったかな、と思っていると、あれ、いまのでスイッチ入った? と思うような一瞬があるよね。
明:それがこの段落のタイトルの「勝敗の壁」ですか。
本:うん。今回の章の巨漢の彼は、それが顕著だったね。
病気になる前の頃から、例えば、ファミコンゲームで対戦してても、自分が負けそうになるとダウナーになって、しまいには泣いてしまうようなところがあった。
高校時代の英語もだし、自動車整備会社のいじめでもそう。そうした自分が苦しい、イヤな局面の話をするだけで、落ち込んで、すねて、泣いてしまう人だったんだ。
明:本さんは、横で見てて、それをどう思ってたんですか?
本:個性的なやつだな、わかりやすいやつだな、くらいかな。
まさか、将来、精神疾患になって周囲を騒がすような事件を起こすとは思ってなかったよ。
だから、異常な事件が起きて、犯人が逮捕されても、周囲の人が、まったくそんな人には見えませんでしたとか言っているのは、僕は納得できる。
前章の彼もそうだけど、周囲の想像を超える事件を不意に起こしたりする感じだよ。
明:なんらかの事件を起こすまでは周囲に気づいてもらえないという側面はあるかもしれません。
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