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「人類の知的遺産1 古代イスラエルの思想家」より

 みなさんこんにちは。

 

昨日に続き、「人類の知的遺産シリーズ1 古代イスラエルの思想家」から

 

面白いと思ったところを紹介します。

 

昨日の記事はこちら↓

 

kotobanokoto.hatenablog.com

 

以下、面白いと思ったところの僕の要約です。

 

士師時代にあった反王国の理由(の説)

1.ブッデ以来遊牧的理想という考え方があるから。

2.神のみが王であるから。

3.部族連合があったから。

しかし、歴史の中で働く思想は、多くは複合的なもので、一本だけで通るものではない。 

 

僕の無知さ全開で、上の文をこう理解したということを書くと、

 

エジプトの支配から抜け出したイスラエル人が、

 

新たな王国を作るのには、

 

反対する考えがあった。

 

その理由が上記3つということだと理解しています。

 

僕がどうして、上の部分を面白いと思ったのかというと、

 

散々エジプトに支配されて、

 

そこから抜け出したのだから、

 

同じ道は辿るまいとして、

 

王国を作るのに反対するという考えが

 

当然あるだろうと思ったけど、

 

そういう理由が、

 

意に反して無かったからです。

 

強いて言えば、

 

1.ブッデ以来遊牧的理想という考え方があるから。

 

というのが近い気がしますが、

 

決して、エジプトの支配と結びつく必然性は

 

ありません。

 

それで、なんとなく僕が思うことですが、

 

支配、被支配ということを

 

最近になって考えるようになった人が

 

増えているのではないかということです。

 

原因は、さまざまだと思いますが、

 

コロナの問題、雇用の問題、生活の問題など、

 

色々と考えていくと、

 

やはり、支配、被支配というところにいきつくのだと思います。

 

それで、僕はこの支配、被支配という問題を

 

よく考えるのですが、

 

先に紹介した頃の時代でさえ、

 

支配、被支配のことが問題になっていたわけです。

 

ですから、人類のかなり昔からこの支配、被支配という問題があったわけで、

 

遡れば人類の誕生の頃からあったんじゃないかと

 

思うわけです。

 

時代の物差しをうんと伸ばして考えれば、

 

人類の誕生の頃からの人間の悩みだと

 

推測できるわけです。

 

それで、時代の変わった現代でさえ、

 

支配、被支配の問題が残っているということは、

 

この問題はもう、明日、太陽が昇るかどうかを心配するがごとく、

 

考えてもしょうがない問題なんじゃないかと

 

思うのです。

 

明日太陽が昇らない可能性は万が一であります。

 

しかし、その心配をして生きるのは

 

得策ではないということです。

 

同じように支配、被支配の問題を

 

心配して生きるのは、

 

やはり得策ではないということです。

 

それに、変わり者の僕の考えでは、

 

僕たちはそういう心配をしているときこそ、

 

支配する者が支配しやすい状態にあるのだと考えます。

 

ですから、そういう心配をやめて生きることが、結局は

 

支配から逃れて、

 

生きることになると考えます。

 

支配する者は、

 

心の弱った者が

 

大好きですからね。

 

ですから、僕は

 

今日も太陽が昇ったことに感謝して

 

生きたいと思うのです。

 

ありがとうございました。

 

明読斎

 

 

 

 

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