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統合失調症と引き寄せの法則 〜人生の荒波に乗る方法⑩〜

みなさんこんにちは。

 

「統合失調症と引き寄せの法則 〜人生の荒波に乗る方法〜」も第10回となりました。

 

今回から全体の統括に入りたいのですが、

 

その前にお伝えしておきたいことがあります。

 

それは、僕たちとこの世界の関係についてです。

 

僕たちとこの世界はどのような関係なのかという問題を

 

理解することが、全体の統括に関わってきます。

 

ですので、ここでまずこの問題から考えていきます。

 

では、僕たちとこの世界はどのような関係なのでしょうか?

 

まず考えたい問題としては、

 

僕たちがもし、多くの豊かさを望むとして、

 

それを提供するこの世界は、やはり豊かなのかという問題です。

 

それは簡単に想像がつくと思います。

 

僕たちがもし、多くの豊かさを望んでこの世界がそれを提供するのだとしたら、

 

この世界もやはり豊かであるはずです。

 

この世界が豊かでないのに、僕たちに多くの豊かさが提供されることはないからです。

 

この問題を踏まえて、この世界を少し擬人化してみます。

 

僕たちは普段多くの豊かさを望みながら、それが叶わないので

 

しかめっ面をしていたとします。

 

この世界は、やはり僕たちと同じしかめっ面をしています。

 

僕たちは痺れを切らし、

 

「いい加減僕たちに微笑みかけてくれよ」と内心怒りを湧き上がらせています。

 

しかし、この世界はしかめっ面のままです。

 

ですが、実はこの世界はたまに僕たちに微笑みかけているのです。

 

それもとびっきりの笑顔でです。

 

しかめっ面をした僕たちはその笑顔が目に入りません。

 

それどころか僕たちは「そんなのは偶然だ」と言って、一蹴してしまいます。

 

それを聞いたこの世界は、僕たちと揉めたくないので、

 

「そうです。あなたのおっしゃる通り、こんなのは偶然です」と言って、とびっきりの笑顔をやめて、

 

僕たちと同じしかめっ面に戻ります。

 

それを見た僕たちは「ほら、やっぱりこの世界はしかめっ面だ。この世界は自分の思い通りにならない」と言って、

 

一層自分のしかめっ面を強くするのです。

 

このことは一見して分かる通り、しかめっ面の原因がループしています。

 

ずっと、望まない現実が繰り返されるときというのは

 

このようなループに陥っています。

 

実はこの世界はたまに僕たちにとびっきりの笑顔を見せていることや、

 

この世界は僕たちに同意することなど、

 

大事なところはいくつもあるのですが、

 

あえて一つだけ特に大事なところを書くとしたら、

 

『しかめっ面をした僕たちは、この世界のとびっきりの笑顔が目に入らず、

 

「そんなのは偶然だ」と言って一蹴してしまう』というところです。

 

本当はこの世界は僕たちに向けてとびっきりの笑顔を見せています。

 

しかし、しかめっ面をした僕たちにはその笑顔が目に入りません。

 

普段しかめっ面をした友人が何かの拍子にとびっきりの笑顔を見せたとき

 

僕たちは、その友人の本当の姿を見た気になります。

 

この世界も同じです。

 

普段しかめっ面をしたこの世界が何かの拍子にとびっきりの笑顔を見せたとしたら、

 

そちらこそがこの世界の本当の姿だということです。

 

この世界が普段しかめっ面なのは、

 

僕たちがしかめっ面をしているからです。

 

この世界はただ僕たちに同意しているだけです。

 

この世界はまるで鏡に映った僕たち自身のようです。

 

ですが、鏡に映った僕たち自身と違うのは、この世界はたまにとびっきりの笑顔を見せるというところです。

 

僕たちはこの世界がたまに見せるとびっきりの笑顔を「偶然」と一蹴してしまいます。

 

それでは、どうして僕たちはこの世界がたまに見せるとびっきりの笑顔を「偶然」と一蹴してしまうのでしょうか?

 

さらに言うなら、

 

そもそも「必然」とは一体どういうことなのでしょうか?

 

「必然」についての問題提起をしつつも、

 

今回の記事を終わりたいと思います。

 

続きは次回となります。

 

長文にお付き合いくださりありがとうございました。

 

 

 

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