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統合失調症と引き寄せの法則 11 〜人生の荒波に乗る方法〜

 

みなさんこんにちは。

 

「統合失調症と引き寄せの法則 〜人生の荒波に乗る方法〜」も第11回となりました。

 

今回は前回に問題提起した、

 

どうして僕たちはこの世界がたまに見せるとびっきりの笑顔を「偶然」と一蹴してしまうのか?

 

という問題と、

 

そもそも「必然」とは一体どういうことなのか?という問題について書いていきます。

 

まず、初めに前回書いたこの世界の擬人化の話を

 

逆にしたエピソードを書いてみます。

 

以下、この世界の擬人化の話を逆にしたエピソードです。

 

『実はこの世界はたまに僕たちに微笑みかけているのです。

 

それもとびっきりの笑顔でです。

 

いつも笑顔でいる僕たちはその笑顔がいつも目に入っています。

 

僕たちは「これは必然だ」と言って受け入れます。

 

それを聞いたこの世界は僕たちに同意し、

 

「そうです。あなたのおっしゃる通り、これは必然です」と言って、しかめっ面

 

をやめて、

 

僕たちと同じ笑顔を見せます。

 

それを見た僕たちは「ほら、やっぱりこの世界は僕たちに笑顔を見せている。この世界は自分の思い通りになる」といって、

 

一層自分の笑顔を強くするのです。

 

このことは一見して分かる通り、笑顔の原因がループしています』

 

どうでしょうか。

 

前回のエピソードを逆にしたものです。

 

これはある種、理想と言えるのではないでしょうか。

 

しかし、前回のエピソードと今回のエピソードは何が違うのでしょうか。

 

僕たちがいつも笑顔でいることが必要だということでしょうか。

 

この問題はそれよりももっと深いところに答えがあるように思えます。

 

ここで、僕が体験したエピソードを書きます。

 

事実を元に、少し分かりやすくしています。

 

僕はあるとき、まとまったお金が必要でした。

 

そのお金が用意できないととても困ったことになります。

 

しかし、僕はどうしてもそのお金を用意する手立てがありません。

 

僕は街中をトボトボと歩いているとふと宝くじ売り場が目に入りました。

 

手持ちのお金はわずかだったのですが、

 

なんとなくスクラッチくじを買ってみようと

 

思いました。

 

そのときはもう頭の中からお金のことは消えていました。

 

ただ、どうしようもないので気を紛らわせる気持ちでスクラッチくじを買ったのです。

 

そしたら、なんと買ったスクラッチくじが当たってしまいました。

 

それで、準備する必要のあった金額と同じ金額が手元に入ってきたのです。

 

・・・このエピソードを読んで、

 

スクラッチくじが当たったのは「必然」だと思う方はいないでしょう。

 

ほとんどの方はこれを「こんなのは偶然だ」と思うのではないでしょうか。

 

しかし、もし、このときの僕が

 

疑いなく当たり前というレベルまで「困ったときは必ず偶然が助けてくれる」と思っていたらどうでしょう。

 

その場合のエピソードを書いてみます。

 

僕はあるとき、まとまったお金が必要でした。

 

そのお金が用意できないととても困ったことになります。

 

しかし、僕はどうしてもそのお金を用意する手立てがありません。

 

僕はいつも「困ったときは必ず偶然が助けてくれる」と思っています。

 

僕は街中をトボトボと歩いているとふと宝くじ売り場が目に入りました。

 

手持ちのお金はわずかだったのですが、

 

なんとなくスクラッチくじを買ってみようと

 

思いました。

 

そのときはもう頭の中からお金のことは消えていました。

 

ただ、なんとなくの気持ちでスクラッチくじを買ったのです。

 

そしたら、なんと買ったスクラッチくじが当たってしまいました。

 

それで、準備する必要のあった金額と同じ金額が手元に入ってきたのです。

 

このエピソードはどうでしょうか。

 

偶然は偶然に違いないのですが、僕がいつも「困ったときは必ず偶然が助けてくれる」

 

と思っていることによって、偶然とも言えない何かが

 

漂ってくるのを感じられるのではないでしょうか。

 

このときの僕はきっと「ほら、やっぱり困ったときは必ず偶然が助けてくれる。この世界は自分の思い通りになる」と言って、一層笑顔を強くした

 

ことでしょう。

 

僕の内心の違いによって、

 

スクラッチくじに当たったのが、偶然だったのかそれとも必然だったのかという評価が変わってきます。

 

この内心、つまり僕がいつもどう思っているかということ。

 

とりわけ、疑いなく当たり前だというレベルまで内心に思っていることを

 

潜在意識と呼んだりします。

 

後者のエピソードの僕は、スクラッチくじに当たったことを

 

「必然」と評価したことでしょう。

 

そうなると、「必然」か「偶然」かの違いは、

 

内心にどう思うか次第とも言えそうです。

 

しかし、誤解のないように書くと、「困ったときは必ず偶然が助けてくれる」と思っていれば、いつもスクラッチくじに当たるということではありません。

 

そうではなくて、

 

いつも「困ったときは必ず偶然が助けてくれる」と思っていれば、その内心に見合った現象を目にすることが多くなるということです。

 

僕たちはこの世界の中で内心に思っていることの証拠を度々目にします。

 

その証拠によって、僕たちはますます内心に思っていることを強固なものにします。

 

なぜならこの世界は、

 

「そうです。あなたのおっしゃる通り、これは偶然です」または、

 

「そうです。あなたのおっしゃる通り、これは必然です」

 

と言って、僕たちの内心に同意するからです。

 

そうすると、この世界というのは、本来の決まった顔というものはなく、

 

「偶然」と「必然」という真逆の性質のものでさえ、どちらの顔をも持っているということになります。

 

この世界は、僕たちの内心がどう思っているかに合わせて、ただその内心に見合った顔を見せてくれるにすぎないということです。

 

このことは何も「偶然」か「必然」かだけに言えることではありません。

 

この世界は、どんなことにおいても僕たちの内心に見合った顔を見せてくれるにすぎないということです。

 

長くなったので今回はここまでにします。

 

次回は、そろそろ統括に入っていきたいと思います。

 

長文におつきあいくださりありがとうございます。

 

 

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