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「新極真会空手と統合失調症」NPO法人新極真会静岡湖西豊田道場  & 明読斎 対談 ・第一章 統合失調症(精神疾患)と死者の謎②

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②        精神病は死を呼ぶのか?

本:僕も明さんもそうした心の試練を経て、いまもこうして生きているわけですけど、でも、僕らの周囲には、僕らと同じように心の病を患って、そして自ら死を選ぶ形で命を絶ってしまう人もたくさん? いらっしゃいますよね。

 

明:たくさんというのはアレですが、たしかにおられますね。

 

本:この国(日本)の若者の一番の死因は自殺なのだそうです。

 

それらすべてが、心の病が原因だとは思いませんが、かなりの人がそれを苦にしたり、キッカケにして亡くなっているのは間違いない。

 

明:僕もその話題は他人事ではないと思っています。

 

15~34才の死因の一位が自殺で、その自殺の理由が学校問題(いじめ等を含む)や健康問題(精神病を含む)というのも、思わず、気持ちはわからなくもないと言いたくなってしまいます。

 

本:言いたくなるよね。ここで、さらに絞って質問です。

 

精神病が原因で自殺してしまう人って、明さんは、その自殺自体が病気だと思う?

 

それとも病気自体は治ってはいるけれども、今後のことなんかを考えて死んでしまう人の方が多いと思う?

 

明:必殺!切り返しですが、本さんは、どう思いますか? 自殺自体は心の病気か否か

 

本:先に僕が答えさせてもらうと、僕は自殺を選択する時点でメンタルヘルスが損なわれていると考えるね。

 

後でまた違う章でも話すと思うけど、知り合いで、自分が自殺をする理由をその人なりにはすごく理詰めで考えて、説明してくれた上で実際に自殺行為をしてしまう人がいたんだけれども、僕は自殺を肯定する心理状態を病んでると考えます。

 

明:現代日本がとりあえずどんな状態でも基本的には生きることを義務付けている国だからそう考えるんですか?

 

本:日本生まれの日本人なのでこの国のその風潮の影響は受けていると思うけど、個人的には人間、死んでしまったら、無だと思うので、どんなに立派な考えも行動も生きてやり続けなければ、意味ないな、と。

 

それと、生きるのが苦しくて苦しくて自分で死ぬというのは、正直、わからないでもないけれども、そこで立ち向かうのが人間の義務のような気がするんだよね。

 

明:じゃ、本さんは、自殺は心の病派ですね。

 

僕は自殺は心の病でも、ましてや健康状態にあるとも考えません。

 

では、どう考えるのかというと、自殺は、損なったメンタルヘルスを獲得しようとする状態だと考えます。

 

本さんがおっしゃるのはまさにその通りで、僕も苦しみに立ち向かうのが人間の義務だと思います。

 

だから、自殺しようとする心理状態は健康状態にあるわけではありません。

 

かといって、心の病の状態にあるとも言えないと思うんです。

 

僕は統合失調症を発症する前は、完全にメンタルヘルスを損なっていたわけなんですが、そこで思っていたことは、「死ぬもんか」という想いです。

 

どちらかと言うと、自殺とは真逆の想いです。 そこから、自殺をしようという心理状態へははるかに距離があるように思います。

 

ただ、僕がもしメンタルヘルスを損なっていたときに、こう考えたら自殺の方向へ行っていたかもしれないという方向があります。

 

それは、自分を助けようとする方向です。

 

僕がもし、苦しすぎるから自分を助けようと考えたら、自殺の方向へ行っていたかもしれません。

 

 

その心の病の中で、一種の歪んだ健康状態として、自分を助けようという発想が出たときに、僕たちは自殺へ向かうんじゃないかと思います。

 

自分を殺すことで自分を助けようとする感じです。

 

だから、僕は手段がおかしいだけで、自殺は損なったメンタルヘルスを獲得しようとする状態だと考えます。

 

そのことを例えるなら、コップに水が入っていて、何かの拍子にそのコップの水をこぼしてしまった。

 

なんとかコップに水を戻そうとして、地面に溜まっていた泥水を入れるという感じです。

 

伝わりますか?

 

本:自己のメンタルの救済のための自殺ですね。

 

明さんの話で僕は国や君主、会社、組織、家族のための自殺や、よりよき来世のための自殺を連想した。

 

あれはでも、僕個人的には抵抗があって、なぜなら、国のため、会社のため、家族のため、転生後の来世のために自殺しても、それが本当に望んだ通りの結果を生む保証はどこにもなくて、実際は多くの人を悲しませるだけだったり、転生なんてできなくてただ死んだだけみたいな結果になることが当然、多いから。

 

明:それはそうなんですけれども、そうした希望にすがって自殺に逃げたくなるくらい苦しいわけですよ。

 

本:死んで消えてしまうよりも、一時的に生き恥をかいてでも、生きて頑張った方が明るい未来を築ける可能性は高いよね。

 

明:そうですね。自殺が希望じゃないと気づければ、自殺は選ばないと思います。

 

本:ずいぶん前に、「ぼくの地球を守って」っていう少女マンガが流行した時に、マンガの内容をなぞるように来世での再会を誓って自殺する読者がでてきて、マンガのせいか? って騒がれたけど、あれも思い出した。

 

あの時、自殺した人たちは転生できたんだろうか?

 

明:どうなんでしょうね。僕は転生という考えを持っていませんから。

 

自我を持ったままでの転生は無いだろうなと思います。

 

だから死ぬことによって救われるとも思わないわけです。

 

精神病の苦しみから逃れる手段としての自殺は、あくまで手段にすぎません。

 

だから、僕は目的は合っているけれど、手段を間違えていると思うわけです。

 

本:とりあえず、原因がなんにせよ死ぬほど苦しんでる人は話すだけでもその気持ちを誰かにぶちまけた方がいいと思います。

 

身近に話せる人がいないのなら、いのちの電話とか、それこそ警察とか公的機関もあるわけだし、手前味噌だけどNPO法人新極真会静岡湖西豊田道場も主に道場生でそういう状態の方の声に耳を傾けています。

 

24時間年中無休とはいかないですが、そうした方の話を聞くのに一日費やしたことも何度もあります。

 

死んだら終わりでも、誰かに相談したりして生きて考えれば、なんらかの次の手は浮かんでくると思いますよ。

 

明:この章は最後、宣伝ですね。

 

本:宣伝というかこの本自体が自殺を選んでしまいそうな人への死なずに生きた方が、まだ逆転のチャンスはあるよ!というメッセージ本なので、僕も僕なりに本気でやってますよ、とアピールです。

 

明:了解しました。

 

第二章    幼なじみの死 へと続く

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