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統合失調症と引き寄せの法則③ 〜人生の荒波に乗る方法〜

みなさんこんにちは。

 

「統合失調症と引き寄せの法則 〜人生の荒波に乗る方法〜」の第3回となります。

 

前回は引き寄せの法則について参考となるエピソードを紹介しました。

 

今回はその続きとなります。

 

幼稚園児の僕は、一体何を引き寄せたのか?

 

この問題を考えるにあたり、

 

エピソードの中で起きた出来事を一歩引いた形で、僕の身に起きた現象としてかいつまんでみたいと思います。

 

幼稚園児の僕は翌日の遠足でソリ遊びをすることを楽しみに夢描いていた。

 

当日、遊園地について、雪山へと向かった。

 

すると、ソリ遊びが目前に迫ったところで、

 

お化け屋敷がふいに見えた。

 

お化けや幽霊が大の苦手な僕は、望まない現実に

 

ギャーと泣き叫んだ。

 

僕は、お化け屋敷が遊園地から消えることを望んだが、

 

僕がいくら泣き叫んでもお化け屋敷が遊園地から消えることはなく、

 

反対に、僕の頭の中からソリ遊びのことが消えてしまった。

 

結局、泣き叫んでいたことによって、ソリ遊びする時間は消えていき、

 

遠足の終盤にわずかに数回だけソリ遊びをするだけにとどまった。

 

望む現実はついに夢の中に消えてしまった。

 

・・・というような現象が起きたことになります。

 

幼稚園児の僕が引き寄せた・・・ここでは「呼び込んだ」というような意味で

 

「引き寄せた」という言葉を使うことにします。

 

引き寄せたものとして考えられる要素は、

 

まず、「遊園地」です。

 

次に、「お化け屋敷」です。

 

最後に、「ソリ遊び」です。

 

それぞれ、「望む現実」「望まない現実」「望む現実」と分類できると思います。

 

ここまで書いてみると、

 

以前に書いた「現実は簡単にはコントロールできないようだ」という言葉が、

 

関係してくるのが実感できると思います。

 

お化け屋敷という望まない現実に振り回される僕もそうですが、

 

そのお化け屋敷という望まない現実が遊園地から消えることを望んで大泣きしたにも

 

関わらず、そのお化け屋敷という望まない現実は、遊園地から消えることがなかった。

 

それどころか、反対にソリ遊びという望む現実の大部分が夢の中に消えてしまったところが

 

特に「現実は簡単にはコントロールできない」と感じると思います。

 

「現実は簡単にはコントロールできない」というのは、

 

「望みは簡単には叶わない」という意味でもあります。

 

ここで以前書いた言葉をまた引っ張ってみます。

 

「望むことは起きにくく、望まないことは起きやすい」

 

まさに、この言葉の通りの現象が起きたように感じると思います。

 

では、ここで再度、幼稚園児の僕が引き寄せたものを考えてみます。

 

ソリ遊びという夢の大部分が文字通り夢の中に消えてしまった

 

結果を考えるならば、

 

幼稚園児の僕が引き寄せたものは、紛れもなく「望まない現実」です。

 

決して「望む現実」ではありません。

 

「望む現実」を引き寄せたというのなら、

 

お化け屋敷は見なかったでしょうし、

 

遠足の大部分の時間をソリ遊びに使えたでしょう。

 

しかし、そうはなりませんでした。

 

ここで、お化け屋敷という望まない現実についてもう一歩だけ進んで考えてみます。

 

お化け屋敷という望まない現実は、

 

言わばもらい事故です。

 

ふいに目に入ってしまった現実です。

 

結局この「望まない現実」をどう捉えるかが最重要だと僕は考えます。

 

果たしてこの「望まない現実」は「偶然」起きたのでしょうか?

 

それとも「運命」だったのでしょうか?

 

それとも、それらとは別の「何か」だったのでしょうか?

 

それを考えるには、

 

「望む現実」についても考える必要がありそうです。

 

なぜなら、「望む現実」と「望まない現実」はきっと関係がありそうだからです。

 

次回は「望む現実」について書いていきます。

 

長文にお付き合いくださりありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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